市議会議員から大統領候補まで――。志高き世界の元選手たち。

当選した際には、「さいたま市の守護神になれるよう頑張ります」と抱負を語った都築議員。写真は07年のクラブワールドカップで、エトワール・サヘルとの3位決定戦でPK戦の末に勝利した後。 (C) Getty Images

01年には、準優勝したコンフェデレーションズ・カップの日本代表に名を連ね、ブラジル戦でゴールマウスを守った(0-0の引き分け)。 (C) Getty Images
◇都築龍太:1978年4月18日生まれ 奈良県生駒郡出身
サッカー選手が現役を退いた後の進路は様々だ。多くはサッカー界に残ることを望み(あるいは望まれ)、指導者、解説者、そしてクラブのスタッフなど……に転身する。
もちろん、サッカー界のキャパシティには限りがあり、自らの意思に反して、違う世界に身を投じることを強いられる者もいれば(むしろそちらの方が多い)、望んで新たな職業に挑戦する者もいる。
そんな“挑戦者”のなかには、より良い社会を作りたいという強い意思の下、プロスポーツ選手というクリーンなイメージ、そしてこの世界で築いた人望や高い知名度、そして人脈を活かして、政治の世界に飛び込む者もいる。
世界を見渡すと、かつてはミラン、イタリア代表で活躍した稀代のファンタジスタ、ジャンニ・リベラがキリスト教民主党から出馬して国会議員となり、最近では94年アメリカ・ワールドカップ優勝の原動力となったブラジルの英雄、ロマーリオが上院議員として国政に携わっている。
パリ・サンジェルマン、ミランで活躍し、1995年にアフリカ人として初のバロンドール受賞者となったジョージ・ウェアにいたっては、母国リベリアの大統領選にまで出馬するなど、その志の高さは群を抜いている。
日本では、サッカー界最大のレジェンドであり、歴代最高のストライカーともいわれる釜本邦茂が95年に参議院選挙に当選し、1期を務めている。
そして地方を見ると、浦和レッズなどで活躍した屈強なDF、田口禎則が99年に浦和市(当時)議会議員選挙にトップ当選し、2003年には無所属で埼玉県議会議員となった。
同じように元浦和の選手で、4年前の埼玉県議会議員選挙では落選したものの、これで諦めることなく、昨年、さいたま市議会議員選挙に当選して政治の道を歩み出したのが、都築龍太だ。
今日で38歳となった若き議員は現役時代、日本代表としてもプレーした名GKだった。強豪・国見高校時代には中川雄二(現・松本山雅GKコーチ)と定位置争いを繰り広げ、3年時には高校選手権で準々決勝に進出。2度のPK戦でゴールを守った(1勝1敗)。
卒業後にガンバ大阪に入団し、02年までプレー。3年目まではサブとしての扱いだったが、00年に優勝争いを展開したチームで19試合に出場し、翌シーズンは29試合でゴールマウスに立った。
03年に浦和へ移籍し、山岸範宏らとポジションを争いながら、04年にステージ優勝、06年にリーグ年間優勝、05、06年に天皇杯連覇、07年にAFCチャンピオンズリーグ優勝、クラブワールドカップ3位と、クラブの黄金時代創成に貢献した。
代表では、U-23時代に00年シドニー・オリンピックの最終メンバーに入り、翌年にA代表としての初キャップを刻む。以降、フィリップ・トルシエ、ジーコ、岡田武史の歴代監督の下で招集を受け、計6試合に出場した。
10年夏に湘南ベルマーレにレンタル移籍し、このシーズンをもって現役を引退。現在はユニホームからスーツに着替え、選手時代を支えてくれた、さいたま市民のために議会で戦っている。
さて、元サッカー選手の政界進出者は、冒頭に挙げた以外にも、世界中に多く存在する。
一例を挙げれば、黄金期のミランのDFラインを支えたカハ・カラーゼは、ビジネスでも活躍しているが、12年にグルジアのエネルギー大臣に就任し、母国での影響力をさらに増している。
また、議員ではないものの、大統領から大臣に任命をされたのは、ブラジル・サッカーの2大レジェンド、ペレとジーコだ。後者は90年に、前者は95年にスポーツ大臣を務めた。ジーコが1年後に辞任した理由は、現役復帰し、Jリーグ参加を狙う住友金属(現・鹿島アントラーズ)に加入するためだった。
日本では、アビスパ福岡、FC東京、ヴェルディ川崎、湘南、アルビレックス新潟とチームを渡り歩いた梅山修が、07年に新潟市議会議員している。
(以上敬称略)
サッカー選手が現役を退いた後の進路は様々だ。多くはサッカー界に残ることを望み(あるいは望まれ)、指導者、解説者、そしてクラブのスタッフなど……に転身する。
もちろん、サッカー界のキャパシティには限りがあり、自らの意思に反して、違う世界に身を投じることを強いられる者もいれば(むしろそちらの方が多い)、望んで新たな職業に挑戦する者もいる。
そんな“挑戦者”のなかには、より良い社会を作りたいという強い意思の下、プロスポーツ選手というクリーンなイメージ、そしてこの世界で築いた人望や高い知名度、そして人脈を活かして、政治の世界に飛び込む者もいる。
世界を見渡すと、かつてはミラン、イタリア代表で活躍した稀代のファンタジスタ、ジャンニ・リベラがキリスト教民主党から出馬して国会議員となり、最近では94年アメリカ・ワールドカップ優勝の原動力となったブラジルの英雄、ロマーリオが上院議員として国政に携わっている。
パリ・サンジェルマン、ミランで活躍し、1995年にアフリカ人として初のバロンドール受賞者となったジョージ・ウェアにいたっては、母国リベリアの大統領選にまで出馬するなど、その志の高さは群を抜いている。
日本では、サッカー界最大のレジェンドであり、歴代最高のストライカーともいわれる釜本邦茂が95年に参議院選挙に当選し、1期を務めている。
そして地方を見ると、浦和レッズなどで活躍した屈強なDF、田口禎則が99年に浦和市(当時)議会議員選挙にトップ当選し、2003年には無所属で埼玉県議会議員となった。
同じように元浦和の選手で、4年前の埼玉県議会議員選挙では落選したものの、これで諦めることなく、昨年、さいたま市議会議員選挙に当選して政治の道を歩み出したのが、都築龍太だ。
今日で38歳となった若き議員は現役時代、日本代表としてもプレーした名GKだった。強豪・国見高校時代には中川雄二(現・松本山雅GKコーチ)と定位置争いを繰り広げ、3年時には高校選手権で準々決勝に進出。2度のPK戦でゴールを守った(1勝1敗)。
卒業後にガンバ大阪に入団し、02年までプレー。3年目まではサブとしての扱いだったが、00年に優勝争いを展開したチームで19試合に出場し、翌シーズンは29試合でゴールマウスに立った。
03年に浦和へ移籍し、山岸範宏らとポジションを争いながら、04年にステージ優勝、06年にリーグ年間優勝、05、06年に天皇杯連覇、07年にAFCチャンピオンズリーグ優勝、クラブワールドカップ3位と、クラブの黄金時代創成に貢献した。
代表では、U-23時代に00年シドニー・オリンピックの最終メンバーに入り、翌年にA代表としての初キャップを刻む。以降、フィリップ・トルシエ、ジーコ、岡田武史の歴代監督の下で招集を受け、計6試合に出場した。
10年夏に湘南ベルマーレにレンタル移籍し、このシーズンをもって現役を引退。現在はユニホームからスーツに着替え、選手時代を支えてくれた、さいたま市民のために議会で戦っている。
さて、元サッカー選手の政界進出者は、冒頭に挙げた以外にも、世界中に多く存在する。
一例を挙げれば、黄金期のミランのDFラインを支えたカハ・カラーゼは、ビジネスでも活躍しているが、12年にグルジアのエネルギー大臣に就任し、母国での影響力をさらに増している。
また、議員ではないものの、大統領から大臣に任命をされたのは、ブラジル・サッカーの2大レジェンド、ペレとジーコだ。後者は90年に、前者は95年にスポーツ大臣を務めた。ジーコが1年後に辞任した理由は、現役復帰し、Jリーグ参加を狙う住友金属(現・鹿島アントラーズ)に加入するためだった。
日本では、アビスパ福岡、FC東京、ヴェルディ川崎、湘南、アルビレックス新潟とチームを渡り歩いた梅山修が、07年に新潟市議会議員している。
(以上敬称略)