近年は怪我に苦しむことが多く、加入1年目の今季も出遅れ…。

今シーズン、チャンピオンズ・リーグでは自国のクラブ、バイエルンと対戦。悔しい逆転負けを喫したものの、ケディラは中盤で奮闘した。 (C) Getty Images

2年前のW杯では、主力として5試合に出場。7-1の大勝で世界を驚かせた準決勝ブラジル戦ではゴールを挙げたが、決勝戦を直前の怪我で棒に振ったことについては悔しさが残った。 (C) Getty Images
◇サミ・ケディラ:1987年4月4日生まれ ドイツ・シュツットガルト出身
カルロス・テベス、アンドレア・ピルロ、アルトゥーロ・ビダルといった主力がごっそり退団したユベントスが今シーズン、新生チームの構築のために獲得した新戦力のひとりが、サミ・ケディラだった。
レアル・マドリーとの契約が切れ、移籍金なしでイタリアに到来した彼は、屈強な体躯と豊富な運動量で積極的に攻守に絡むプレースタイルが印象的なドイツ代表のMFであり、2年前のブラジル・ワールドカップでは主力として世界制覇に貢献している。
シュツットガルトで生まれ育ち、地元の名門クラブで06年にトップチームデビューを果たし、1年目でリーグ優勝を経験。4シーズンを過ごした後、ジョゼ・モウリーニョ率いるレアル・マドリーに引き抜かれた。
マドリーではリーガ、国王杯、チャンピオンズ・リーグ、クラブワールドカップと全てのタイトル制覇を経験したが、2013年11月には右膝靭帯断裂の重傷を負い、15年にも左足大腿部を痛めて、最後の2シーズンは出場試合数を大幅に減らした。
ユベントス加入後もハムストリングの負傷で出遅れ、セリエAデビューは7節のボローニャ戦だった。31節終了現在で、出場数は17試合(4得点)となっている。
今夏にはフランスでのEURO2016が控えており、10年南アフリカW杯、EURO2012、14年ブラジルW杯に続く、4度目のメジャー大会出場のためにも、ここからさらに調子を上げていくことが望まれる。
さてケディラといえば、ユベントスの歴史上、8人目のドイツ人である。
その系譜は1908年に始まり、DFヨゼフ・エドムンド・ヘス(08-12)、MFハンス・マイヤー・ホイベルガー(09-10)が、初期のチームでプレーした。
そこから次なるドイツ人が出現するまでに、半世紀以上の時が過ぎた。3人目はMFのヘルムート・ハーラー。西ドイツ代表として62年から3大会連続でワールドカップに出場し、66年イングランド大会決勝(対イングランド)では、激戦の口火を切る先制ゴールを挙げたMFの名手だ。
彼はここでの5シーズンで2度のスクデット獲得に貢献し、敗れはしたものの、72-73シーズンではチャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝に進出し、あのヨハン・クライフ擁するアヤックスと対戦している(0-1)。
90年代に突入すると、3年間で4人のドイツ人が到来した。西ドイツ代表は90年イタリアW杯で優勝しており、一方、セリエAは世界一ハイレベルで裕福なリーグだったのだから、この流れも当然だと言えるかもしれない。
W杯終了後の90-91シーズンには世界的なFKの名手、トーマス・ヘスラーが、91-92シーズンにはDFとMFをハイレベルにこなすシュテファン・ロイター、そして世界の一流ストライカーを苦しめたストッパー、ユルゲン・コーラーが、「ビアンコ・ネロ」のユニホームを身に纏った。
そして92-93シーズン、中盤のテクニカルな司令塔、アンドレアス・メラーもユベントスに新天地を求める。彼は3シーズンを過ごし、1年目にはUEFAカップ獲得に貢献した。
ヘスラー、ロイターは1年でチームを去ったが、コーラーは95年夏までプレー。在籍最終シーズンには、怪我に苦しみながらも、9年ぶりにスクデットを獲得するユベントスを、持ち前のハードプレーで支えた。
そして今シーズン、23年ぶりに加入したドイツ人、ケディラ。その在籍期間で、いかなる歴史を作り上げるだろうか。
カルロス・テベス、アンドレア・ピルロ、アルトゥーロ・ビダルといった主力がごっそり退団したユベントスが今シーズン、新生チームの構築のために獲得した新戦力のひとりが、サミ・ケディラだった。
レアル・マドリーとの契約が切れ、移籍金なしでイタリアに到来した彼は、屈強な体躯と豊富な運動量で積極的に攻守に絡むプレースタイルが印象的なドイツ代表のMFであり、2年前のブラジル・ワールドカップでは主力として世界制覇に貢献している。
シュツットガルトで生まれ育ち、地元の名門クラブで06年にトップチームデビューを果たし、1年目でリーグ優勝を経験。4シーズンを過ごした後、ジョゼ・モウリーニョ率いるレアル・マドリーに引き抜かれた。
マドリーではリーガ、国王杯、チャンピオンズ・リーグ、クラブワールドカップと全てのタイトル制覇を経験したが、2013年11月には右膝靭帯断裂の重傷を負い、15年にも左足大腿部を痛めて、最後の2シーズンは出場試合数を大幅に減らした。
ユベントス加入後もハムストリングの負傷で出遅れ、セリエAデビューは7節のボローニャ戦だった。31節終了現在で、出場数は17試合(4得点)となっている。
今夏にはフランスでのEURO2016が控えており、10年南アフリカW杯、EURO2012、14年ブラジルW杯に続く、4度目のメジャー大会出場のためにも、ここからさらに調子を上げていくことが望まれる。
さてケディラといえば、ユベントスの歴史上、8人目のドイツ人である。
その系譜は1908年に始まり、DFヨゼフ・エドムンド・ヘス(08-12)、MFハンス・マイヤー・ホイベルガー(09-10)が、初期のチームでプレーした。
そこから次なるドイツ人が出現するまでに、半世紀以上の時が過ぎた。3人目はMFのヘルムート・ハーラー。西ドイツ代表として62年から3大会連続でワールドカップに出場し、66年イングランド大会決勝(対イングランド)では、激戦の口火を切る先制ゴールを挙げたMFの名手だ。
彼はここでの5シーズンで2度のスクデット獲得に貢献し、敗れはしたものの、72-73シーズンではチャンピオンズ・カップ(現リーグ)決勝に進出し、あのヨハン・クライフ擁するアヤックスと対戦している(0-1)。
90年代に突入すると、3年間で4人のドイツ人が到来した。西ドイツ代表は90年イタリアW杯で優勝しており、一方、セリエAは世界一ハイレベルで裕福なリーグだったのだから、この流れも当然だと言えるかもしれない。
W杯終了後の90-91シーズンには世界的なFKの名手、トーマス・ヘスラーが、91-92シーズンにはDFとMFをハイレベルにこなすシュテファン・ロイター、そして世界の一流ストライカーを苦しめたストッパー、ユルゲン・コーラーが、「ビアンコ・ネロ」のユニホームを身に纏った。
そして92-93シーズン、中盤のテクニカルな司令塔、アンドレアス・メラーもユベントスに新天地を求める。彼は3シーズンを過ごし、1年目にはUEFAカップ獲得に貢献した。
ヘスラー、ロイターは1年でチームを去ったが、コーラーは95年夏までプレー。在籍最終シーズンには、怪我に苦しみながらも、9年ぶりにスクデットを獲得するユベントスを、持ち前のハードプレーで支えた。
そして今シーズン、23年ぶりに加入したドイツ人、ケディラ。その在籍期間で、いかなる歴史を作り上げるだろうか。