注目したいのはそのデビュー年。
ベガッ太(ベガルタ仙台)
■ベガッ太の評価(5段階)
・愛され度:5.0
・ご当地度:4.5
・パーソナリティ:5.0
・オリジナリティ:4.0
・ストーリー性:4.5
・発展性:3.5
いささか旧聞になるが、2月20日に開催されたJリーグマスコット総選挙で栄えある1位に輝いたのは、仙台のベガッ太さんであった。第1回中間発表では、私が1位に予想していた東京ドロンパがトップを走っており、ベガッ太は8位に止まっていた。
ところが第2回中間発表では、ベガッ太は上位陣を一気にごぼう抜きしてドロンパを追い落とすと、その後のデッドヒートも制して3年ぶり2度目のセンターポジションに返り咲いた。自らの不明を恥じるとともに、ベガッ太のマスコットとしてのポテンシャルの高さを改めて思い知った次第。
。そんなわけで今回は、お詫びの意味を込めてベガッ太にフォーカスすることにしたい。ここで私が注目するのは、彼がデビューした1999年という年である。
99年にJリーグで起こった一番の変化といえば、なんといってもJ2リーグ開幕である。初年度に名を連ねたのは、札幌、山形、仙台、大宮、FC東京、川崎、甲府、新潟、鳥栖、大分の10クラブ。ところが、開幕前にマスコットがいたのは札幌のみであった(ドーレ、97年~)。
仙台のベガッ太と川崎のふろん太はこの年のデビューだが、恐らくはJ2加入に間に合わせる意図があったのだろう。他のクラブは、マスコットの必要性を(少なくともこの時点で)考えていなかったか、あるいはマスコットを制作する余裕がなかったのである。加えて言えば、クラブ数が一気に26にまで増えたため、Jリーグ側がマスコットを「必須条件」としなくなったことも影響したと見るべきだろう。
つまりJ2リーグ設立によるエクスパンションにより、マスコットは事実上「自由化」されたのである。この「自由化」にはふたつの意味があって、「作っても作らなくてもいい」自由、そして「これまでの型にとらわれない」自由である。
よく知られているように、オリジナル10を含むJ2設立以前に誕生したマスコットの多くは、ソニー・クリエイティブ・プロダクツ社が手がけている。そして基本コンセプトは、アクティブでスピーディーでスタイリッシュな、いかにも90年代テイストなものであった。またJリーグが当初、各マスコットのデザインの統一感を重視していた点も見逃せない。結果として、クオリティの高さは担保されたものの、個性的なキャラクターというものが現われにくい状況が続いていたのである。
話をベガッ太に戻す。およそ猛禽類をモチーフとしているとは思えない、堂々たる巨体と茫洋とした表情、そしてオッサンのような行動様式とふてぶてしさ。ベガッ太のデザインとキャラ設定、そして振る舞いの数々は、Jリーグ黎明期における「マスコットの禁じ手」のオンパレードであった。
もし仙台が1年早くJリーグ入りを果たしていたなら、もっと違ったデザインが採用され、そのキャラクター設定も今より随分と控え目なものになっていた可能性が高い。J2というフロンティアでデビューしたことで、ベガッ太はユニークなキャラクターを伸びやかに開花させ、仙台の人々もまたその自由奔放さに惹かれていったのである。その後、これまでの型にとらわれないマスコットが各地で誕生するが、その嚆矢となったのがベガッ太さん。さすが「さん」付けされるだけのことはある。
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式メールマガジン『徹マガ』。http://tetsumaga.com/
■ベガッ太の評価(5段階)
・愛され度:5.0
・ご当地度:4.5
・パーソナリティ:5.0
・オリジナリティ:4.0
・ストーリー性:4.5
・発展性:3.5
いささか旧聞になるが、2月20日に開催されたJリーグマスコット総選挙で栄えある1位に輝いたのは、仙台のベガッ太さんであった。第1回中間発表では、私が1位に予想していた東京ドロンパがトップを走っており、ベガッ太は8位に止まっていた。
ところが第2回中間発表では、ベガッ太は上位陣を一気にごぼう抜きしてドロンパを追い落とすと、その後のデッドヒートも制して3年ぶり2度目のセンターポジションに返り咲いた。自らの不明を恥じるとともに、ベガッ太のマスコットとしてのポテンシャルの高さを改めて思い知った次第。
。そんなわけで今回は、お詫びの意味を込めてベガッ太にフォーカスすることにしたい。ここで私が注目するのは、彼がデビューした1999年という年である。
99年にJリーグで起こった一番の変化といえば、なんといってもJ2リーグ開幕である。初年度に名を連ねたのは、札幌、山形、仙台、大宮、FC東京、川崎、甲府、新潟、鳥栖、大分の10クラブ。ところが、開幕前にマスコットがいたのは札幌のみであった(ドーレ、97年~)。
仙台のベガッ太と川崎のふろん太はこの年のデビューだが、恐らくはJ2加入に間に合わせる意図があったのだろう。他のクラブは、マスコットの必要性を(少なくともこの時点で)考えていなかったか、あるいはマスコットを制作する余裕がなかったのである。加えて言えば、クラブ数が一気に26にまで増えたため、Jリーグ側がマスコットを「必須条件」としなくなったことも影響したと見るべきだろう。
つまりJ2リーグ設立によるエクスパンションにより、マスコットは事実上「自由化」されたのである。この「自由化」にはふたつの意味があって、「作っても作らなくてもいい」自由、そして「これまでの型にとらわれない」自由である。
よく知られているように、オリジナル10を含むJ2設立以前に誕生したマスコットの多くは、ソニー・クリエイティブ・プロダクツ社が手がけている。そして基本コンセプトは、アクティブでスピーディーでスタイリッシュな、いかにも90年代テイストなものであった。またJリーグが当初、各マスコットのデザインの統一感を重視していた点も見逃せない。結果として、クオリティの高さは担保されたものの、個性的なキャラクターというものが現われにくい状況が続いていたのである。
話をベガッ太に戻す。およそ猛禽類をモチーフとしているとは思えない、堂々たる巨体と茫洋とした表情、そしてオッサンのような行動様式とふてぶてしさ。ベガッ太のデザインとキャラ設定、そして振る舞いの数々は、Jリーグ黎明期における「マスコットの禁じ手」のオンパレードであった。
もし仙台が1年早くJリーグ入りを果たしていたなら、もっと違ったデザインが採用され、そのキャラクター設定も今より随分と控え目なものになっていた可能性が高い。J2というフロンティアでデビューしたことで、ベガッ太はユニークなキャラクターを伸びやかに開花させ、仙台の人々もまたその自由奔放さに惹かれていったのである。その後、これまでの型にとらわれないマスコットが各地で誕生するが、その嚆矢となったのがベガッ太さん。さすが「さん」付けされるだけのことはある。
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式メールマガジン『徹マガ』。http://tetsumaga.com/