【THIS IS MY CLUB】“在籍24年目”の柿谷曜一朗が語る「セレッソへの正直な想い」と「理想と現実の葛藤」

2020年07月03日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「プロになるまではセレッソへの想いは強くなかった」

4歳の時にセレッソのアカデミーに入団。在籍は通算24年目になる。写真:徳原隆元

 今回、サッカーダイジェストもその一員を成す「DAZN Jリーグ推進委員会」では、「THIS IS MY CLUB – FOR RESTART WITH LOVE - 」と称して、各クラブの最長在籍選手へのインタビューを実施した。

 セレッソ大阪からは、4歳から同クラブのアカデミーで育ち、今季でトップチーム在籍通算12年目の柿谷曜一朗が登場。クラブへの想いやシーズン再開への心境などについて語ってもらった。

――◆――◆――
 
――4歳からセレッソに在籍していて、年々クラブへの想いは変わるものですか?

「子どもの頃と比べるとだいぶ変わりましたね。そもそも小さい頃はどうしてもセレッソでプロになりたかったわけではないんです。家族旅行の帰りにたまたま横にセレッソのチームバスが止まって、当時の選手に手を振ってもらったのが嬉しくて、アカデミーに入ったというだけで。

 なんなら小学1年生でセレッソ対ヴェルディの試合を観た時なんか、実はヴェルディのほうに憧れていたくらいで。漠然とサッカーが好きで、ボールが蹴れれば別にセレッソじゃなくてもいいと思っていました」

――そこからどう変わっていったのですか?

「ホンマにセレッソのために頑張りたい、セレッソで世界を取りたい、って思い始めたのはプロになってからですね。それまでは正直クラブへの想いはあまり強くなかったです」

――何がきっかけでその想いが芽生えた?

「確か19歳の時。徳島に移籍してからですね。初めてクラブに突き放されてから」

――遅刻を繰り返していて、生活態度を改めるためにレンタルで出された時ですね。

「そう。徳島におった時に、セレッソの試合を観ていて『俺がおらん』『俺、今セレッソのユニホーム着てへん』って、すごく大きな違和感を抱いたんです。これまで当たり前だったものがなくなってしまった感覚というか。

 それまでの人生でセレッソでしかサッカーをやってきてなくて、セレッソは僕にとって家みたいなものでした。どのカテゴリーにも知っている人がいて、どのスタッフとも顔見知りで。それが急になくなってしまった」

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