【EURO2016開催地を巡る旅】第5回:リールとピエール・モーロワ「不思議な街で、夏だ、ビールだ、フットボールだ!」

2016年04月30日 結城麻里

あのハリルホジッチ監督がかつて危機から救ったクラブ、LOSC。

フランドルの伝統を守りながら、欧州の他文化とも融合したリールには、独特の風情が漂う。写真は2年に一回開催される国際文化イベント「リール3000」の盛大なオープニングセレモニー。 (C) REUTERS/SUN

 過去2回は南の都市を巡ってきましたが、今回は再び北上。今回紹介するのは、ベルギー国境に近いリール(人口約23万)です。
 
 パリからTGVに乗ってあっという間の1時間。駅名を見るだけで、この街の特徴が分かります。
 
「リール・フランドル」駅と「リール・ユーロップ」駅――。
 
 そう、この街はフランスでありながら、「フランドルの首都」のニックネームと、「欧州の交差点」という別名を持つ、独特の伝統文化に彩られた街なのです。その魅力がぎっしり詰まった広場、通称「グラン・プラス」へも駅から徒歩で行けます。
 
 これについては後でじっくり触れるとして、まずはいつも通り、フットボールから紹介しましょう。
 
――◇――◇――
 
 この街のクラブ、「リール・オランピック・スポルティング・クラブ(通称LOSC)」は、意外な古豪です。
 
 第2次世界大戦後の1946年には「戦争マシン」とまで呼ばれ、リーグとフランス・カップの二冠を達成。後者に至っては、47年、48年と3連覇を果たし、伝説となりました。
 
 ところが60年代に大危機に見舞われてプロ資格を喪失し、アマから再出発。出口の見えない、長く暗いトンネルが続きました。そこに到来した救世主が、「コーチ・ヴァイッド」こと、ヴァイッド・ハリルホジッチ現日本代表監督だったのです。90年代末のことでした。
 
「ヴァイッドは、大きな思い出を残してくれた。今でも、この街の者は誰ひとりとして、彼のことを忘れていない」
 
 こう話すのは、地元有力紙『ラ・ヴォワ・デュ・ノール』で20年来、フットボールを取材しているリシャール・ゴット記者です。
 
「LOSCの新たな歴史は、ヴァイッドから始まった。あそこから、リールは今の姿になったんだよ。彼もリールを愛していてね、今も、リール北東のシックな郊外に自宅を構えている」
 
 ハリルホジッチ監督は当時、LOSCを2部から1部に昇格させ、さらにはチャンピオンズ・リーグ出場にまで導くという快挙を果たしました。彼によって立て直されたチームは、クロード・ピュエル、リュディ・ガルシアといった有能監督に引き継がれていきました。
 
 そのこともあって、今回のEURO2016では、ハリルホジッチ監督が、リールのシティーアンバサダーを務めているのです。
 
 ちなみに、昨年11月からLOSCを率いているのは、こちらも日本に縁があるフレデリック・アントネッティ監督(98~99年にガンバ大阪を指揮)です。就任時は下位に低迷していましたが、34節終了時点で6位にまで浮上しており、ヨーロッパリーグを狙える位置にこぎ着けています。

次ページ国内初の斬新なスタジアムでは6つの戦いが繰り広げられる。

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