なぜ、風呂桶だったのか。フロンターレを支えてくれた全ての人の象徴。生み出し続けていきたい、「温かさ」という価値を

2022年11月19日 手嶋真彦

深夜のスナック、飲めない酒をあおり…

2017年に悲願のJ1初優勝。セレモニーでは風呂桶が掲げられた。(C)KAWASAKI FRONTALE

 川崎フロンターレはJ1で優勝すると、なぜ、風呂桶(おけ)を天に掲げるのだろうか。駄洒落(だじゃれ)が好きというただそれだけの理由で、今回のJ1最終節にもフロ桶を用意していたのか。いや、そうではない。男が語り出したのは「ドン底に落ちた日」の話だった。

 今から22年前の2000年11月18日。男はひとりで電車に揺られていた。その少し前に、フロンターレはアウェーで柏レイソルに敗れ、J2降格が確定したばかりだった。夜の電車に揺られながら、男は川崎大師を目ざしていた。

 当時のフロンターレは弱かった。応援してくれる人もほとんどいない。男が飛び込みで地域の飲み屋にポスターを貼りにいけば、酔っ払いから蔑(さげす)まれる。

「この、アホンターレ」
「この、バカターレ」

 地域の商店街にフロンターレ新聞を配りにいけば、無言で、丸めて捨てられる。そんなことすら、ざらにあった。まずはクラブの存在を知ってほしい。その一心で、どれだけ必死に活動しても、手応えはほとんどない。これを空回りというのだろうか。

 J2降格が決まったレイソル戦はナイターだった。京急線に乗り換え、川崎大師駅に着いた時、じきに日付が変わろうかという時刻になっていた。

 駅からほど近いスナックで、男は飲めない酒を飲む。コップ1杯のビールでフラフラになる体質なのに、ウイスキーの水割りを飲んでいた。たぶんやけ酒だったのだろう。
 
 男はアルコールで顔を真っ赤にしながら、つい弱音を吐いてしまう。すると気心の知れた周囲の人に、こんな言葉で励まされた。

「それは違う。J1だとかJ2だとかカテゴリーは関係ない。大事なのは、この街に愛されているか、どうかだろ」

 1997年にJリーグ準会員となったフロンターレを、当初から応援してくれていた川崎大師周辺の商店街の人たちだ。深夜にもかかわらず、スナックには数人が集まっていた。落ち込んでいるはずの男を励ますためだった。

「J1にいたって、この街に愛されていなかったら、意味がない。もっと川崎に愛されるクラブになって、またJ1を目ざそうぜ」

 男を励ます会は、店を変え、未明まで続く。ドン底まで落ちたあの日、商店街の人たちにかけてもらった言葉を、スナックでのその場面を、男は今でも鮮明に覚えている。

 この日の記憶は、フロンターレが川崎に根付き、地域の人から愛されるクラブになっていくまで、話題性、社会性、地域性の高いプロモーション企画をいくつも実現していくその男、天野春果が心の支えにしてきた温かい思い出となっている。

【PHOTO】進め威風堂々!力強い声援で選手を後押しし続けた川崎フロンターレサポーター!
 

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