「ずば抜けて上手い」究極のユーティリティ。中学時代の中山雄太はトップ下やGKも務めていた【東京五輪代表のルーツ探訪】

2021年08月01日 鈴木潤

「雄太は常に全体を見ながら、判断してプレーできる子でした」

柏U-18時代の中山雄太。CBなどを務め、高校3年生時には主将も任された。©KASHIWA REYSOL

 東京五輪で悲願の金メダル獲得を目指すU-24日本代表。全世界注目の戦いに挑んでいる彼らは、この大舞台に辿り着くまでどんなキャリアを歩んできたのか。

 ここで取り上げる中山雄太は、中学時代からトップ下、ボランチ、DF、時にはGKも務めるなど、究極とも言えるほどのユーティリティ性を発揮していた。そして万能戦士は中学2年生の時に茨城県トレセンに選出され、キャリアを大きく変えるターニングポイントを迎える。

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 茨城県龍ケ崎市出身の中山雄太は、2009年に龍ケ崎市立愛宕中へ入学した。兄の影響で幼少期からボールを蹴り始め、小学1年生の時に地元の北文間スポーツ少年団に入団。サッカーの楽しさに取り憑かれた中山が、中学入学後にサッカー部に入部するのは自然の流れだった。

 愛宕中サッカー部の顧問を務めていた根本清史が、当時の中山を語る。

「ひと言で言うと"温厚"です。だから言っておとなしいとか、真面目過ぎることはなく、茶目っ気がありながらも周りをよく見ていましたね。小学校を出たばかりの中学1年生だと自分のプレーばかりをやろうとする子が多い傾向にありますが、雄太は常に全体を見ながら、自分で行くのか、他の子にボールを預けるのか、判断してプレーできる子でした」

 なかでも根本が鮮明に記憶している出来事がある。とある雨の日の練習、体育館でフットサルのボールを使用したミニゲームを行なった。そこで中山は先輩をドリブルで抜きにかかるが止められてしまい、思わず「あ、先輩、足が長い」とこぼした。

「雄太の想定では、小学生の時の感覚でボールを動かして抜けると思ったんでしょう。でも先輩は想定より足が長く、ボールに届いて止められてしまった。でも次のプレーから、雄太は修正してドリブルで抜いた。すでにそういう感覚を持ち合わせていて、面白い子だなと思いました」

 トップ下やボランチを主戦場に、DFだけでなく、時には経験の一環としてGKを務めた。起用されたポジションでそれぞれの面白さを見出し、中山は常にサッカーを楽しんだ。

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