【川崎】“稀有な存在”中村憲剛が示したサッカー選手の在り方。期待したいラストダンス

2020年11月02日 本田健介(サッカーダイジェスト)

40歳を区切りに固い決断が

会見で今季限りでの引退を発表した中村。小林から花束を受け取った。(C)KAWASAKI FRONTALE

 誰もが驚かされた発表だっただろう。

 前日のFC東京戦には先発し、1-1の同点に追い付かれたチームを救う決勝ゴールをマーク。自らの40歳の誕生日を祝う記念的なゴールで、インサイドハーフとして大怪我から復帰した選手とは思えない溌溂としたパフォーマンスを示したのだ。観る者たちが"中村憲剛ここにあり"と感じたほどで、来季の活躍も期待していたに違いない。

 それでも11月1日、15時から行なわれた緊急会見で発表されたのは、Jリーグ切っての司令塔の今季限りでの引退であった。

 35歳の時に浮かんだ考えだったという。40歳で引退する――。それは「誰にも話しませんでした。話したのは妻だけでした」という、秘めた強い覚悟でもあった。

 もっとも、ここ数日で決断を伝えた鬼木達監督やチームメイトらは一様に驚き『なぜ今?』『まだやれるのに』という声が相次いだという。それもそのはずで、8月末の清水戦で約10か月ぶりの戦列復帰を果たし、いきなりゴールをマーク。そして徐々にコンディションを上げていただけに、誰もがその選択を青天の霹靂として受け止めたはずである。では、なぜ40歳をひとつの区切りにしたのか。率直な疑問をぶつけると、ここまでの歩みを振り返りながら言葉が戻ってくる。

「サッカー選手は30代が大台で、40代でプレーするのはすごいこと。40代でやれている選手は本当に一握りです。自分のなかではリミットを設けることで、残りの5年を頑張れるという想いがありました。そこから1年1年いろんな経験をしていくなかで、40で終わって良いんじゃないかと、それは自分のことだけではなくて、クラブのこともそうですし、色んなことが集約されていく感覚がありました。

(昨年11月に左膝の)前十字を切って逆にこれまで経験してこなかったのは大怪我だったので、そういうことなのかなと。ただここでひとつ言っておきたいのは怪我が原因で辞めるということはまったくありません。怪我を克服して、しっかりJ1トップでプレーする姿を見せながら辞めるのが一番の最大の目標だったので、怪我はまったく関係ありません。後遺症もありません。そこはちゃんと書いていただきたいと思います。せっかく復帰した時の皆さんのお言葉を裏切る形になってしまうので。そうではなくてやれるうちに終わりたいという想いがありました」
 2016年に36歳でリーグMVPに輝き、17年、18年にはリーグ連覇、19年にはルヴァンカップ優勝。そして今季は鮮やかな復活劇。まだ十分にできる。誰もが同じ考えを共有していたが、男の気持ちは「揺れは1ミリもなかった」。そして固い決断を強化部、鬼木監督、年長者のチームメイトらと段階的に報告。

 仲間に伝えたのは、引退発表の同週で、会見にも登場し、目に涙を浮かべていたように映ったFW小林悠との会話も実に印象的だったという。ここ数年ともにチームを引っ張り、悲願のタイトルに導き、苦楽を共にしてきたまさに、切っても切り離せない"相棒"である。

「(今週初めに)個別で付き合いの長い年長者の選手には話をさせてもらって、悠はその時からボロボロ泣いていて。今日は皆(全選手、全スタッフ)集まって話をした時に悠は最初からひとりだけ泣いていました。

(会見では)いく(泣く)なと思いましたが、こらえたと言っていました。悠は付き合いが長い選手のひとりですし、僕のあとにキャプテンを継いで、色んな想いを共有する選手だったので、思うところは彼自身あったはずですし、僕自身も思うところもあるので。涙を流してくれることは嬉しかったです」

【PHOTO】川崎のバンディエラ、中村憲剛のデビューイヤーから現在を振り返る!2003-2020

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