ウガンダ人の父を持つダイヤの原石はいかにして磨かれた?修徳高FWブワニカ啓太がジェフ千葉入りを決めるまで

2020年10月13日 松尾祐希

小学校時代はGKとして活躍、中学ではサッカーではなくバレーボールをやろうと…

千葉入りが内定したブワニカ啓太。修徳のストライカーとして最後の選手権に挑む。写真:松尾祐希

 代表歴もなければ、県選抜の経験も全国大会への出場もない。エリート街道とは無縁だった男は高校3年間で自身を磨き上げ、プロ入りの権利を掴んだ。

 10月1日、ジェフユナイテッド千葉は修徳高に所属するブワニカ啓太(3年)の獲得を発表した。最大の武器は豊富な運動量と跳躍力で、中盤より前のポジションであれば全てこなせる汎用性も魅力のひとつだ。修徳高では1年次からトップチームに帯同し、2年次からはレギュラーに定着。今季は4−4−1−1の1.5列目で自由に動き回りながら、得点に絡む役割を担っている。

 プロ注目の大型ボランチ・大森博(3年)とともにチームを牽引するブワニカ。「中学の時はプロになるなんて全く考えていなかった」と本人が苦笑いを浮かべたように、高校1年生までは無名の選手だった。なぜ、ブワニカはプロ入りを勝ち取れたのか。日本人離れした身体能力だけでプロになれるわけではないし、他を圧倒するサッカーセンスを持っていたわけでもない。いかにして、ダイヤの原石が磨かれたのだろうか。

◇   ◇   ◇

 日韓ワールドカップが開催された2002年の12月16日。ブワニカはウガンダ人の父と日本人の母の間に生まれた。両親はともにサッカー経験者。特に母親は中学時代になでしこリーグの下部組織でGKとしてプレーしたことがあり、サッカーは幼い頃から身近にあった。その中で本格的にキャリアをスタートさせたのは小学校4年生の時。両親の影響もあったが、テレビゲームを原作とするアニメ「イナズマイレブン」に登場するGK円堂守に憧れ、地元・松戸のラビットキッカーズに加わった。

 小学校時代はGKとして活躍。サッカーに熱中する一方で、自身の関心は友達と遊びでよくやっていたバレーボールに移りつつあった。中学ではバレーボールをやろう――。そう考えて松戸六中に進むが、まさかの出来事が起こる。仲の良かったサッカー初心者の友人が同部への入部を決めたのだ。

 バレーボールに強くこだわっていなかったこともあり、友達に連れられてサッカー部へ。将来を決める上で大きな出来事となった。

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