最後のトヨタカップ、歩けなかったポルト司令塔にMVPを獲らせた日本人の‟神の手”【名勝負の後日談】

2020年06月14日 加部 究

短期連載コラム『名勝負の後日談』vol.11 04年トヨタカップ・ポルトvsオンセ・カルダス|ふたりの選手の治療を求められる

最後のトヨタカップでMVPを獲得したマニシェ。来日時は歩くこともままならなかったという。写真:滝川敏之

 歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文●加部 究/スポーツライター)

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 2004年、欧州の頂点に上り詰めたFCポルトは、ジョゼ・モウリーニョの出世作だった。

 2002年にポルトの監督に就任したモウリーニョは、翌年に国内のリーグ、カップ、そしてUEFAカップと三冠を達成。さらに翌2004年にはチャンピオンズリーグ(CL)でも優勝を飾り、このビッグタイトルを置き土産にチェルシーへ向かった。また同時にCLでMVPを獲得したデコもバルセロナへ移籍し、この年のEURO(欧州選手権)で準優勝したポルトガル代表の中心メンバーだったリカルド・カルバーリョやパウロ・フェレイラもチームを離れていった。

 こうしてポルトは、体制を刷新してシーズンを迎えた。しかも2004年暮れ、欧州代表として最後のトヨタカップを戦うために来日したチームは、大きな問題を抱えていた。

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 都内で鍼灸整骨院を経営する久米信好(現東京有明医療大学准教授)が韓国の学会から帰国したのは、トヨタカップの3日前だった。数週間前に、FCポルトが日本のセラピストにメディカルサポートを依頼するかもしれないという話は耳にしていた。だが実際に久米が依頼の連絡を受けたのは韓国から戻った翌朝、つまり試合の前々日だった。

 少々面食らったが、それでも1日の診察を終えると練習が行われているグラウンドへ車を飛ばす。最初にチームドクターと顔を合わせると「問題なのは、このふたりだ」とベンチに視線を投げた。

「取り敢えず歩かせてみてくれ。歩き方を見れば、だいたい把握できるから」
「ダメだ。もう練習時間は終わっている」

 ふたりはバスへ向かうが、特にひとりは重症の様子でチームメイトの肩を借りてやっと歩を進めていた。

 練習を終えたチームはホテルへ移動し、同行した久米はトレーナーズルームへ案内された。ドクターが乾いた口調で告げる。
「ここで治療してみてくれ」
 

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