羽ばたいた本田、長友、香川、吉田…指揮官・反町康治は惨敗の北京五輪をどう捉えたか?【名勝負の後日談】

2020年06月06日 加部 究

短期連載コラム『名勝負の後日談』vol.10 2008年北京五輪 日本vsアメリカ|長友の緊張ぶりが想定を超え、安田を準備させる事態に

北京五輪日本代表を率いた反町監督。結果は伴わなかったが、ともに戦った選手たちは世界へと羽ばたいた。(C) Getty Images

 歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文●加部 究/スポーツライター)

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 反町康治監督は、開始5分で安田理大にウォームアップを命じていた。

 2008年北京五輪初戦、左サイドバックでスタメン出場した長友佑都の緊張ぶりが想定を超えていた。前年頃から急成長を遂げた長友は、この年からFC東京でレギュラーに定着し、フッキ(当時川崎)と互角の攻防を繰り広げるなどの活躍を見せ、すでにフル代表でもデビューを飾っていた。だがそんな長友が、五輪では米国選手の圧力に面食らい、すっかり余裕を失っている。安田を準備させたのは、早々に1枚交代カードを切る事態を危惧したからだった。

 北京五輪に出場した日本代表チームは、必ずしも大きな期待を背負い込んでいたわけではない。その3年前にはチームの基盤となる選手たちがU-20ワールドカップを戦っているが、ラウンド16でモロッコに0-1で敗れている。チームの経験不足を埋めるためにオーバーエイジ3人の起用を予定していたが、コンディション不良で遠藤保仁、大久保嘉人の招集を断念。水面下では他にも何人かの選手と交渉したが不調に終わっていた。

 さらに追い打ちをかけたのが組み合わせ抽選である。12年前のアトランタ五輪で金メダルを獲得しているナイジェリアや、欧州屈指のタレントを揃えたオランダと同居。オランダにはU-20ワールドカップで1点差ながら圧倒された苦い経験があり、日本がグループリーグを突破するには初戦で顔を合わせる米国からの勝利が必須条件と見られていた。

 ただし日本にも有利な条件はあった。開催地が同じ東アジアで高温多湿の劣悪条件に見舞われる。「気候と時差は味方にしなければ」と、国内では比較的暑い名古屋でキャンプを行い調整をしてきた。だが初戦が行われた天津の気温は、キックオフ時で35~36度まで上昇し想定を超えた。さらに芝の根つきが悪く、試合を重ねるごとに荒れるばかりで、実際香川真司もサイドチェンジなどでミスを繰り返すことになった。
 

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