スペイン6部での葛藤、J3制覇、“王者”横浜での苦難…。京都、中川風希の“波乱万丈”物語

2020年06月04日 古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)

「中学から高1まではCBを中心にSBもやっていました」

今季から京都でプレーする中川。これまでのキャリアを振り返ってくれた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 埼玉県で生まれ育ち、地元の名門である武南ジュニアユース、武南高とキャリアを歩んできた京都の中川風希。高校2年次にはインターハイで全国準優勝を経験した。そして一昨季は琉球でJ3優勝、昨季は横浜でJ1優勝。一見、順風満帆のサッカー人生に見えるが――。 

 ここでは小学校時代から中学、高校、さらにはスペインでプレーしていた時について語ってもらった。中川のキャリアを振り返っていこう。

――◆――◆――

――サッカーを始めたきっかけは?
「親父が野球をやっていたので、(僕にも)野球をやらせたかったらしいです。ただ、幼稚園にはサッカークラブしかなくて、とりあえずスポーツをする意味でサッカーを始めました」

――小さい頃から攻撃的なポジション?
「バラバラです。小学生まではアタッカーで、中学から高1まではCBを中心にSBもやっていました。僕は絶対にディフェンスの選手じゃないと思っていたんですけど、当時のコーチに言われて……。そのあと高2でトップ下、高3でFWとしてプレーするようになりましたね」
 
――攻撃的な印象が強いので、CBでのイメージが沸かないですね。
「なぜCBだったのか自分でも分からない(笑)。ただ、ずっと試合には出させてもらっていました」

――高校は埼玉の強豪の武南高に進学しましたね。
「武南に進学しても試合に絡めないと思って、正直行きたくなかった。でも武南のジュニアユースでずっと主力で出させてもらっていたので、周囲から『高校も武南に行かなきゃやばい』と圧を受けていたような気がしました(笑)」

――実際に入学してみてどうでした?
「部員が1学年で80人くらいいて、3学年トータルでは200人を超えていました。『すげーところに来ちゃったな』と。試合に出始めたのは高3です」

――高2までは試合に絡めなかった?
「高2の時にチームがインターハイで全国準優勝したんですけど、当時、同級生が5人くらいスタメンで出ていて、ベンチでは2年生が僕だけでした。すごくもどかしくて、悔しかったですね。何もできていないと思いながらの準優勝でした」
 

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