【連載・東京2020】杉岡大暉/中編「“超高校級”DFが、プロに入って味わった困難」

2019年09月06日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「朝岡監督は見る目があるというか、凄い人でした」

高校時代は誰よりも遅くまで自主練をしていたという。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年に開催される東京五輪。この連載は本大会での活躍が期待される注目株の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。
 
 6回目は、優れた身体能力と豊富なスタミナを活かして、湘南ベルマーレの攻撃的なスタイルの一翼を担う杉岡大暉が登場。
 
 市立船橋高から入団した湘南ではルーキーイヤーでレギュラーを奪取する。プロ2年目の昨季にはルヴァンカップ決勝で豪快なミドルシュートを叩き込み、チームにタイトルをもたらす活躍。そして今季はA代表に初選出されるなど、順調にキャリアを積んでいる。ひたむきにサッカーと向き合う姿勢は、いかにして育まれたのか――。
 
 中編では、インターハイでは日本一にも輝いた高校時代に学んだもの、湘南への入団を決めた理由、プロに入り初めて痛感した駆け引きの難しさをお届けする。
 
前編はこちら
【連載・東京2020】杉岡大暉/前編「正直もう戻りたくない高校生活。入学当初に抱えていたコンプレックスは…」

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――高校時代に、試合に勝つために最も努力していたことは?
「最後までグラウンドに残るようにしていましたね。なんか他の人より先に上がるのが嫌で。意味があったかは分かりませんけどね。チームの練習が終わったらグラウンドは解放されていたので、そこで自主練をしていました」
 
――どんな自主練を?
「キックとか色々です。一番取り組んでいたのはステップです。足が遅かったので、フィジカルコーチに頼んで、付きっ切りで指導してもらっていました」
 
――苦手を克服できた裏には、やはり人知れない努力があったわけですね。
「そうかもしれません」
 
――当時の朝岡隆蔵監督はどんな人でしたか?
「見る目があるというか、凄い人でしたね」
 
――具体的にどういったところが凄かったのですか?
「すごく細かい戦術的な視点を持っているし、技術の部分でもすごく色々なことを教えてくれました。とにかくサッカーをすごく知っている人という印象です」
 

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