【連載・東京2020】旗手怜央/前編「大学屈指のアタッカーはいかに育ったのか。名門”静学”を選んだ理由」

2019年07月08日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「ゲームより、身体を動かすほうが好きだった」

順天堂大でエースを担い、世代別代表でも活躍する。大学界屈指のアタッカーはどんなキャリアを歩んできたのか。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。
 
 4回目は、力強いドリブルと豪快なシュートが持ち味の、大学屈指のアタッカー旗手怜央が登場。
 
 三重県の強豪チームFC四日市で小学、中学時代を過ごし、高校では名門・静岡学園へと越境入学する。
 
 そして順天堂大へと進学後、世代別の代表にも選ばれ、メキメキとその頭角を現わしてきた。来年には川崎フロンターレへの加入が内定している。大学サッカーの枠を飛び越えて活躍する21歳はどんなサッカー人生を歩んできたのか。前編では、好奇心旺盛だった幼少期から、静岡学園に入学するまでに迫る。実力者が集まる名門校・静学でアピールできた要因は――。
 
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――サッカーを始めたきっかけは?
「これといったきっかけはなく、気づいたら始めていましたね。元々身体を動かすのが好きだったんですよね。野球をやっていた父親の影響もあって、幼稚園の頃から、サッカーだけでなく、よくキャッチボールもしていました」
 
――本格的にクラブに入ってサッカーに取り組んだのは?
「小3でした」
 
――野球ではなくサッカーを選んだのはなぜ?
「当時の友だちがみんなサッカーをしていたからです。その流れに乗った感じです。でもサッカーのクラブに入ってからも野球はやっていました。土日にサッカーの練習、平日は野球、みたいな」
 
――かつて高校野球で活躍したお父さん(旗手浩二氏/PL学園で甲子園に出場。84年には夏冬連続で準優勝を果たした)にとっては、複雑な心境だったのでは?
「もしかしたら野球をやってほしかったのかもしれないですね。でも今はすごく応援してくれていますよ」
 
――当時、何か言われたりは?
「いえ、特に。普通にサッカーをやらせてくれました」
 
――サッカーと野球を両立させるのは大変だったのでは?
「そんなことないです。遊びでやっていただけだし、なにより楽しかったですから。流行りのテレビゲームはなんか好きになれなくて、身体を動かすほうが好きだった。サッカー、野球、鬼ごっことか、毎日外で遊んでいましたね」
 

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