【連載・東京2020】岩崎悠人/中編「人生を変えた京都橘高での3年間。巡り合った恩師との出会い」

2019年05月10日 松尾祐希(サッカーダイジェストWEB)

古都の名門を選んだ理由は米澤監督の言葉にあり

京都橘が準優勝を果たした91回大会をきっかけに高校サッカーに興味を持った岩崎。とりわけ、同校の仙頭と小屋松に憧れを抱いたという。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。

 2回目は、世代屈指の突破力を誇る岩崎悠人が登場。京都橘高ではキャプテンとしてチームを牽引した。最終学年の高校サッカー選手権では2回戦で、杉岡大暉(現湘南)、原輝綺(現鳥栖)を擁する市立船橋高と大会史上稀にみる激闘を繰り広げた。0-1で敗れたものの、記憶に残っているファンも多いはずだ。

 卒業後は京都に加入し、1年目からレギュラーとして活躍。プロ入り3年目の今季は札幌に移籍し、J1デビューを飾った。

 3月中旬のU-23アジア選手権予選でも躍動した20歳のアタッカーは、ここまでいかなる道を歩んできたのか。中編は京都橘高時代のストーリーだ。米澤一成監督との出会い、市立船橋に敗れた最後の選手権。自身を一躍全国区に押し上げた高校時代を振り返る。

前編はこちらから
【連載・東京2020】岩崎悠人/前編「知られざる幼少期の物語。なぜ、一度離れた故郷に戻る道を選んだのか」

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――高校サッカーへの憧れは元々あったんですか?
中学校2年生だった91回大会がきっかけですね。京都橘の仙頭(啓矢/現京都)、小屋松(知哉/現京都)コンビは衝撃でした。父からはユースに上がれなかった選手がチームに入って、頑張っていると聞いていましたが、勝ち上がって準優勝。そこから憧れが生まれましたね。
 
 ――京都橘を選んだ理由を教えてください。
幾つかJクラブの下部組織からオファーがあったんです。でも、自分は高校サッカーがしたかった。そのタイミングで京都橘の米澤一成先生から声を掛けてもらったんですよね。本当にすごく良い人で、最初に話した時はサッカーのことをあまり尋ねられなかったんですよ。「最近調子どう?」って聞かれて。サッカー以外の面を気にして頂いて、僕はこの人と一緒にやりたいなと思いました。
 
――当時、京都橘のグラウンドは土でした。環境面で言えば、もっと良い条件の高校もあったのでは?
米澤先生に、「苦しい環境でもっとやったほうが高校卒業後の選択肢が増える」と言ってもらったんです。僕もそれはそうだなと。その言葉が一番大きかったですね。

次ページ1年次からレギュラーで活躍。しかし、自身が手応えを掴んだタイミングは......

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