アルゼンチンの強豪クラブで研鑽を積む19歳の逸材、島村優志が面白い!

2018年12月23日 加部 究

高校の卒業式を待たずにロサリオへ

自ら思い描いたロードマップのまま、貪欲に突き進む島村(右から2人目)。覚えておきたい名前だ。

 少年は早々と未来へのロードマップを描いていた。

「小学6年生の時に、東京都立久留米総合高校が全国選手権に出場しました。あそこに入学して活躍したいと思いました。中学に進む頃には、その後は海外へ行こうと決めていました。まずは厳しい環境の南米で、と考えるようになったんです」

 自ら振り返っても「順風満帆なサッカーライフ」を送ってきた。小学生時代には多摩川ジュニアで全国大会を経験し、東京都第5地域のトレセンに選ばれ、やがて予定通りに久留米総合に入学すると1年生からトップチームに抜擢された。

「小学生時代はトップ下、中学ではSBだったんですが、高校に入ると斎藤(登)先生がウイングにコンバートしました。割と"持っている"ほうだと思います。入学した秋に1年生の4人がトップチームに呼ばれました。2人がベンチに入ったんですが、おそらくもうひとりのほうが出ると思われていたんです。でも僕が抜擢されて、そこで良いプレーができたのでそのまま定着しました。当時チームは3-4-3で戦っていて、左右どちらでもプレーできるのが僕の武器です。パスを繋ぎながら、どこかに数的優位を築く。このサッカーに僕のプレーが適っていたのだと思います」

 ただし久留米総合での幕切れだけは、どうしても納得がいかなかった。3年間で最も自信のあるチームが出来て、T2リーグ(東京都リーグ2部)を独走し自身も得点王争いを繰り広げた。ところが選手権・東京都予選の準々決勝当日は台風に見舞われ、強風下での試合は組織的なパスワークを得意とするチーム力を半減させた。いくらボールを運ぼうとしても押し戻され、スコアレスドローで終了。東京朝鮮高校にPK戦の末に敗れた。

「チームとしても完成していただけにショックは大きかった……」

 しかしへこむ間もなく、島村優志は次の目標へ向けて走り出した。アルゼンチン留学の橋渡しをしている「SOCCER & SOCIETY」の四方浩文と連絡を取る。それが17歳の秋で、翌2018年1月には卒業式を待たずにロサリオへ飛んでいた。

「シーズンの始動が1月なので、事情を話して高校には卒業を認めてもらいました。大学からの誘いはありましたが迷いはなかったし、僕が4人兄弟の末っ子ということもあり、両親も好きなことをやればいいと後押してくれました。斎藤監督ですか? ひと言頑張れよ、と。すごく情に厚い先生で部員一人ひとりとしっかり向き合ってくれるんですが、口数が多いタイプではないし、オーラもすごいのでそれ以上は……(笑)」

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