「指導者が伸びなければ、選手は伸びない」日本フットボール学会の会頭が考える育成現場の理想形

2018年12月20日 手嶋真彦

大きな転機はオランダ留学。名門アヤックスの育成ダイレクターから聞いた話が…

吉村氏が立ち上げた「NPO法人レーヴェン」は、カリキュラムをあえて持たない独特な活動を続けている。

 カリキュラムをあえて持たないスポーツクラブが千葉県にある。
 
「1週目はこれをして、1年後はこうなっている。そういうノルマや目標を設定すると『できた、できない』という評価が下されます。ここでは評価は一切しません。公式戦にも出場しません。ユニホームも背番号もありません」
 
 代わりに何があるのだろう?
 
「サッカーが大好きな大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちと、子どもたちが一緒に過ごせる時間です」
 
 土曜日の夕方、活動を見学させてもらう。印西市の長閑な郊外だ。小高い丘の上の大学構内に人工芝のグラウンドがある。近づくと、ワイワイ何やら楽しげな空気が伝わってきた。ざっと見たところ、40人以上はいるだろう。そのおよそ半数が小学生以下の子どもたちで、近隣から毎週集まってくるという。この日のメニューは、その大学の女子サッカー部員たちが練ってきたそうだ。
 
 大学生と子どもたち(に加え、実は付き添いのお母さんやクラブ出身の中学生、さらには近隣に暮らす農家の方も参加していたと後で聞いた)がごちゃ混ぜになり、サッカーボールを使ったり、使わなかったりするチーム対抗戦は、身体を動かすレクリエーションのようにも見える。ものすごく横長のピッチでボールを4つ使い、ゴールがいくつもある全員参加の(参加しなくてもいい)紅白戦にもハンデはなく、大学生と子どもたちが同じ条件で競い合う。滑って転んだ男の子に「頑張れ! あきらめるな!」と男子大学院生が声援を飛ばせば、女の子にボールを奪われた大学の女子サッカー部員が大声で「ヤバイ!(笑)」と叫ぶ。しばらく眺めているうちに、筆者は自分の頬が緩んでいるのに気がついた。目の前に広がる光景が、ただ微笑ましかったからではなさそうだ。
 
 大学生がただ教え、子どもたちがただ学ぶだけの、例えば教官と教習生のような通り一遍の関係であれば、どこかに余所余所しさが滲み出てくるものだろう。ふと、思い出す。クラブの代表を務める吉村雅文はこう言っていた。ここは大学生が子どもたちに「寄り添うクラブ」だと。なるほど、そうか。ほんのり場の空気が温かい気がするのは、人のぬくもりで溢れているからだろう。
 
    ◆   ◆   ◆

 吉村はなぜ、大学生と子どもたちのスポーツクラブを作り、カリキュラムのない独自の活動を続けてきたのだろうか。
 
「サッカーの、チームスポーツの面白さは"補完"にあると思います」
 
 チームメイト同士が足りないところを補い合い、それぞれの良さを活かし合うのが補完という考え方だ。補完がうまくいけば、組織の力は上がる。とはいえ、吉村が補完を強く意識してきたのは、チームを強化するためだけではない。
 
「レギュラーだから偉い。チームメイトを削ってでも試合に出たい。そういう残念な尺度を持った選手を育てるところに、スポーツの価値があるのでしょうか?」
 
 吉村がこうした疑問を呈するのは、大学の教員として学生教育に長年携わってきたからでもあるだろう。
 
 大きな転機となったのは、35歳からのおよそ1年3か月を過ごしたオランダへの留学だ。名門アヤックスの育成ダイレクターから直接聞いた話が、カリキュラムのないスポーツクラブのいわば原点にある。こう言われたのだ。サッカーは人間関係のスポーツだよ、と。

次ページ2000年に順天堂大学の教員となった吉村は、補完を前提とする組織作りに取り掛かった

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