【黄金世代】第5回・本山雅志「ワールドユース、ナイジェリアの風を切り裂く」(♯3)

2017年12月01日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

練習に付いていけないかもって、毎回思ってましたよ。マジで

19歳で迎えた18年前のビッグトーナメント。圧倒的なプレゼンスで世界を驚かせた3週間を、いま、本山雅志が振り返る。写真:筒井剛史

 いわゆる黄金世代のメンバーで最初に出会ったのは、"ヤット"だった。
 
 小学校5年時のとある九州の大会で、本山雅志と遠藤保仁は初めて対戦した。鹿児島代表・桜島FC対北九州の強豪・二島小。どろんこのピッチの上でも巧みな球さばきを見せ、悠々とドリブルしていたという。「あいつむっちゃウメーな」と感服したヤットとは、その後も何度か九州の大会や選抜で顔を合わせるようになり、親交を深めていった。
 
ナショナルトレセンで静岡のつま恋とか行くと、たいていヤットと同じ部屋なんですよ。一緒に九州選抜として行ってたんで。ヤットはアンダー16の代表にも選ばれてたけど、僕はそのトレセンくらいで、ちゃんと初めて代表に呼んでもらったのは、正直、高3になってから。U-18だった。そりゃもう、驚きですよ。シンジ(小野伸二)、タカ(高原直泰)、イナ(稲本潤一)とか、国体とか全国大会で対戦したり観たりはしてたけど、いざ一緒に練習してみるとまた違うっていうか……スゴすぎた」
 

 1997年春に本格始動したU-18日本代表。清雲栄純監督が率いるチームは、2年前にU-17世界選手権を戦った小野、高原、稲本、酒井友之、新井場徹らを中心メンバーに、スタート時からキラ星のごとき逸材が揃っていた。本山は言わば新参の部類だが、びっくりするほどすんなりとチームに溶け込んだ。やはりそこは、天性のコミュニケーション能力の持ち主である。
 
「確かにひとつのグループが出来上がってましたね。僕自身はすごい緊張してたんじゃないかと思うけど、気づいたら居心地良くなってました(笑)。一人ひとりがむちゃくちゃ巧いんだけど、なんていうか人柄が良くて、お互いをちゃんと認め合ってる。福岡や九州にも巧い選手はいっぱいいたけど、もうそんなの超越してて規格外。練習に付いていけないかもって、毎回思ってましたよ。マジで」
 
 本人の心配をよそに、本山はその始動時からナイジェリアで銀メダルを獲得するまで、一度たりとも招集を逃がさず、ほぼレギュラーを張り続け、ほとんどの試合で10番を付けた。小笠原満男は、「この世代はシンジとモト。あのふたりが図抜けて巧かった。(アジアユースまで)俺が出れなかったのはしょうがない」と語る。
 
 そんなミツオの証言を伝えると、本山は真っ向から反論した。
 
「レギュラーだった? そんな自覚はまるでなかったし、いつも次は呼ばれないんじゃないかと思って必死にやってた。だから最初の頃、国際大会とかアジアユースとかいろいろあったと思うんですけど、ほとんど覚えてない。必死すぎて(笑)。え? アジアユースで得点王? タカと同じ点数(5点)で? 俺そんなスゴいことしてました?」
 
 声のトーンからして、本気で覚えてないと見た。

次ページJヴィレッジの周りをずーっと、練習が終わるまで走らされました

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事