【小宮良之の日本サッカー兵法書】U-20W杯は原石の見本市だが、将来を保証する舞台ではない

2017年05月24日 小宮良之

南ア戦で日本のアタッカー3人は今後に期待を持たせた。だが…

「スターへの登竜門」といわれる大会だが、忘れられていった選手のほうがはるかに多いのも事実。この大会で活躍することもさることながら、ここで得たチャンス、経験、教訓をいかに活かせるかが、何よりも大事である。 写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 U-20ワールドカップが開幕。日本は21日、南アフリカを2-1と逆転で下し、白星スタートを切った。
 
 この試合、日本は前線の選手の個性が際立った。
 
 小川航基はゴールを奪うためのポジショニングをしつこく取れる選手で、ストライカーとして野心的に立ち向かえる。岩崎悠人はマン・オブ・ザ・マッチに相応しい働きで、サイドに流れた時のプレーセンスは出色だった。
 
 そして交代で入った久保建英は、15歳とは思えない落ち着きで、ゴールに直結するプレーにおいて違いを見せた。
 
 南アフリカDF陣が組織力に欠け、スペースを明け渡してくれたのは大きかったが、3人のアタッカーはそれぞれ持ち味を発揮していた。
 
 彼らがこの先、大会をいかに勝ち抜くか、関心は高まるところだ。
 
 もっとも、ここで活躍を遂げたからといって、将来を約束されるわけではない。早咲き、遅咲きというのがある。選手がどこでキャリアのピークを迎えるかは、誰にも読めないのだ。
 
 2005年にオランダで開催されたワールドユース(現U-20W杯)を、筆者は現地取材している。この大会で一番インパクトがあった選手は、オランダのアタッカー、クインシー・オウス=アベイエだった。
 
 グループステージ初戦で日本と対戦したオウス=アベイエは、3人がかりで止めに入った相手DFを一度ならず、何度も振り切っている。発進する速度が桁違い。スピードとスキルとパワーが同居した突破は、追いすがる相手を手玉にとり、日本に悪夢を見させた。
 
 しかしオウス=アベイエはその後、11のクラブを渡り歩いたが、輝きを放つことはできなかった。31歳になった今、所属クラブはない。今年1月、素行の悪さから母国のクラブ、NECを契約解除になった。
 
 なぜ、オウス=アベイエは世界的選手に成長できなかったのか?
 
 その答えを、一概に言うことはできない。
 
 各チームで何度か、規律違反を犯しているだけに、「ディシプリンが足りなかった」という意見は多くある。精神的に成熟していなかったのだろう。自国開催の大会でインパクトを残したことにより、自惚れが強くなった、という理由もあり得る。驕りは、時に選手を怠惰にする。

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