ベルルスコーニ・ミランの31年(後編)「アンチェロッティ時代の栄光、そして斜陽と終焉へ」

2017年04月18日 片野道郎

ザッケローニも短命に終わりアンチェロッティを招聘。

ベルルスコーニ(中央)政権下での第二期黄金時代を築いたのが、アンチェロッティ(左)だった。生え抜きマルディーニ(右)はキャプテンとしてチームを統率した。(C)Getty Images

 ガッリアーニに実権が移った当初のミランは、決して順風満帆とは言えなかった。95-96シーズンに自身4度目のスクデットを勝ち取ったカペッロが勇退すると、続く2シーズンは10位、11位という惨憺たる成績に終わる。ガッリアーニが自ら選んだウルグアイ人監督のオスカール・タバレスは、わずか半年で解任され、その後に呼び戻したサッキとカペッロも、もはや神通力を失っていた。
 
 この迷走に終止符を打ち、「ガッリアーニは無能だ。やはりベルルスコーニがいないとミランはダメだ」という世評をはね返したのは、アルベルト・ザッケローニだった。ウディネーゼから抜擢された就任1年目の98-99シーズンにオリバー・ビアホフ、ボバン、レオナルドといった選手の活躍によって、誰も期待しなかったスクデットを勝ち取ったのだ。
 
 しかしそのザッケローニも続く翌年は3位止まり、3年目の00-01シーズンは中位に低迷して途中解任の憂き目に遭う。すでに「隠居」の身だったチェーザレ・マルディーニを引っ張り出して6位でシーズンを乗り切ったガッリアーニは、翌01-02シーズンの監督にフィオレンティーナを率いて魅力的な攻撃サッカーを見せていたトルコ人のファティ・テリムを指名した。
 
 しかし、この人選は完全に失敗だった。プレシーズンキャンプとシーズン序盤の戦いぶりから、それを早々に悟ったガッリアーニは、わずか9試合でテリムを見限り、ユベントスを解任されて浪人中だったカルロ・アンチェロッティを招聘する。サッキ時代にセントラルMFとして活躍したOBが、パルマからもオファーを受けて交渉を進めていたところを、サイン直前で割り込んで「強奪」した。
 
 途中就任したこの01-02シーズンは、CL出場権圏内の4位を何とか確保したアンチェロッティ。続く02-03シーズンは、前年に獲得したマヌエル・ルイ・コスタに、リバウド、クラレンス・セードルフ、アンドレア・ピルロという3人を新たに加えた計4人もの「10番」が顔を揃えたチームを機能させるという、困難な宿題に取り組むことを強いられる。

次ページピルロを司令塔に抜擢して一時代を築く。

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