退任までの裏側。川崎で8年指揮を執った鬼木達監督の去就への想いと横断幕への言葉にならない感謝【特別インタビュー】

2024年12月10日 本田健介(サッカーダイジェスト)

圧巻の強さを誇った20年、21年につながった出来事

指揮8年で7つのタイトルを獲得した鬼木監督。偉大な記録だ。写真:滝川敏之

 今季限りで川崎の指揮官を退任した鬼木監督だが、その決断までにはどんな想いがあったのか。川崎の監督としてのラストインタビューだ(全4回/2回)。

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 育成年代でも監督経験がなかったなかで、プロ監督初就任の2017年に川崎を悲願のリーグ制覇に導き、2度の連覇、1度のルヴァンカップ、2度の天皇杯の優勝と、計7つのタイトルを獲得してきた。

 栄光に彩られた8年。傍からはそう感じられるだろう。それでも苦難の連続でもあった。

 それこそ鬼木監督は常に強調する。タイトルは「自分の力だけではない」「みんなで掴んだ優勝だ」と。

 三笘薫、守田英正ら現在の日本代表の中核を担う選手たちを擁した2020年、2021年は数々の記録を塗り替える、まさに無双ぶり、圧倒的な強さを示した。しかし、そこに辿り着くには、壁もあった。

 2017年、2018年に連覇を果たしたチームであったが、指揮3年目の2019年は、勝ち切れない試合が増え、もどかしい日々が続いた。鬼木監督も「キツイな」と思う時期を過ごしていた。そんな時に支えてくれたのが周囲の人たちであった。

「成績が出ない時に、(当時のGMであった)庄子(春男/現・仙台GM)さんが事業部全体の食事会に『行くぞ』と誘ってくれたんです。でもやっぱり勝てていない負い目や、肩身が狭いような気持ちがあって『俺はいいです』と断ったんです。それでも庄子さんは『良いんだよ、こういう時こそ行くんだよ』と連れ出してくれた。すると、行って本当に良かったと思えたんです。事業部の人たちにはこう言ってもらえました。

「『何を言っているんですか、オニさん。17年、18年勝たせてもらっていて、そんなの気にしないでくださいよ』『それこそ、こういう時にオニさんを、チームを支えるために僕らがいるんですよ』」

 涙の出るような想いだった。

 さらにサポーターも常に温かい言葉をかけてくれた。

「『いつでも応援していますよ、信じていますよ』『気にしないでください、応援するから』って声をかけてくれた。当時はあまり人前に出たくないという気持ちもあったのですが、本当にありがたかったですね」
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 そして自らの考えを改める出来事もあった。

「それこそ、監督としてどうなっていくのか迷っている時期で、一方でこのままのサッカーじゃ勝てないなというのはハッキリもしていました。しかも、ある時、今でも連絡を取る知人から言われたんです。『観ていて面白くなかった』と。

 かなり重い言葉で、言われた最初の時は頭にきた部分もあったんですよ。僕らも一生懸命にやっていたので。だけど冷静になって考えてみると、お金を払って観にきてもらって面白くないって、自分たちのやっていることの意義ってなんだろうと。当時、優勝したのがマリノスで、そのサッカーはアタッキングフットボールと呼ばれて面白かった。また海外を見ればマンC、リバプールらみんなアグレッシブで、システム的に4-3-3でやってみるのもありなのかなと思い付いたんです。

 改めて『面白くない』ってかなりの言葉で、そう言われて試合を見返したら、思われてもしょうがないなと、このままじゃいけないなと。そういう気持ちになりましたね」

 2020年、基本システムを4-2-3-1から4-3-3に切り替え、圧巻のサッカーを見せたのはご存知の通りだ。当初は暗中模索で選手たちとも話し合いながら歴史に残るチームを作ってきた。選手たちも志の高い指揮官に感化されたのだろう。誰もが仲間たちと高いレベルを求め合った。

 そんな高レベルなチームに辿り着けたのは、やはり周りの人たちの支え、そして選手たちとの信頼関係があってこそだったのだろう。
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