【「2007年」の中村憲剛】日本代表、ACL、ナビスコ杯決勝――。激動の1年が、末っ子気質の青年を大人に成長させた

2016年04月29日 飯尾篤史

G大阪と浦和による二強時代。 そこに割って入ろうとする新興勢力が、川崎だった。

J1復帰から、わずか2年でACL出場権を獲得した川崎。中村(14番)や川島(1番)、ジュニーニョなど、個の能力が高い選手が揃っていた。(C)SOCCER DIGEST

 トッププレーヤーたちのサッカー人生を大きく左右した1年に迫る新連載がスタート。記念すべき第1回の主人公は中村憲剛だ。この川崎の象徴が選んだのは、2007年シーズン。オシムジャパンでの活動、クラブでのアジア挑戦、そして初タイトル獲得への大一番……。濃密で目まぐるしい日々を、どう駆け抜けたのか。
 
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 あの年があったから今がある――。そんな風に、プロ生活の節目と言えるシーズンはいつだろう?
 
 そう訊ねると、中村憲剛は「難しいな」と考え込んだ。プロ14年目を迎えた彼にとって思い出深いシーズンはいくつかあるはずで、そう簡単に絞れるものではないのだろう。
 
 そこで「2007年はどうか」と提案した。クラブで初めて国際大会に出場し、日本代表としても初めて国際大会を戦い、さらにクラブでカップ戦決勝の舞台に初めて立ったのが、この年だったからだ。
 
「なるほどね」と納得する表情を見せた中村は、記憶の糸を手繰るようにして言葉をつないだ。
 
「確かにもの凄く濃密で、目まぐるしかったのを覚えている。フロンターレに対しても、自分に対しても、周りの見る目が急激に変わっていって……」
 
 横浜F・マリノスの2003年、04年の連覇によって鹿島アントラーズとジュビロ磐田の二強時代に終止符が打たれたJ1リーグはその後、05年の王者・ガンバ大阪と06年の覇者・浦和レッズによる二強時代を迎えようとしていた。

 その両雄に割って入ろうとする新興勢力―それが川崎フロンターレだった。
 
 05年、5年ぶりにJ1復帰を果たすと、06年は開幕から快進撃を続け、2位でシーズンを終える。J1復帰からわずか2年でACL出場を決めた川崎は、優勝候補の一角として07年を迎えた。
 
 手元の『週刊サッカーダイジェスト』を眺めながら、中村が振り返る。
 
「ここにも、フロンターレが『強豪』って書かれているけど、そんなこと、1年前は誰も言ってなかった。これだけでも立ち位置の変化が分かりますね」
 
 もっとも、立ち位置が変わったのはチームだけではない。チーム以上に変化を味わっていたのは、中村自身だった。

次ページ初めて参戦した日本代表の国際大会。「震えましたよ、正直」。

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