複雑な家庭に生まれ、肉屋で働きながら夢を追い掛けたノリートの「知られざる波乱万丈伝」

2016年01月15日 下村正幸

貧しさのなかにも常に笑いがあったと振り返る。

いまやセルタの絶対的エースに君臨するノリート。幼少時の環境もサッカー人生もまさに波乱万丈だったが、努力を続けて這い上がった。(C)Getty Images

 ノリートは得点を挙げるたびに、そのゴールをある人物に捧げる。彼が"父"と言って慕う、亡き祖父に対してだ。祖父を父だと語るその背景にある複雑な家族事情が、決して平坦ではなかったこれまでの人生を象徴するかのようだ。
 
 1986年10月15日、ノリートはスペイン最南端の港町、カディス県のサンルーカル・デ・バラメーダに生まれた。しかし、生まれてすぐに祖父母に引き取られる。その時にはすでに父はおらず、母は出産後に罪を犯して刑務所に収監されてしまったからだ。
 
 祖父母の家には、母親の兄弟の子供たちも暮らしていた。つまりノリートの従兄弟たちである。船員だった祖父は幼い孫たちを養うために必死に働いた。だが生活は苦しく、食べ物と着る物を与えるのが精一杯。食事に困り、祖母がキリスト教の慈善団体にお粥を貰いにいかなければならないこともあった。
 
 それでもノリートは、貧しさのなかにも常に笑いがあったと当時を懐かしそうに振り返る。
 
「両親がいなくて寂しい思いをしたこともあった。もっとも、俺の両親は祖父母だけどね。ふたりには一生分の愛情をもらったよ。祖父は毎日、学校まで迎えに来てくれてね。友達の父さんより少し年を取っていたけど、そんなことはどうでもよかった」
 
 さらに、こう続ける。
 
「そうそう。ご飯は外に遊び行く前に食べるという暗黙のルールがあってね。大家族だからさ。そうしないと食べるものがなくなっちゃうんだ(笑)。おもちゃは従兄弟たちと共有していたな。友達と一緒に遊ぶだろ。みんなは3つも4つもおもちゃを持っているのに、俺は1つあればいいほうで、何も持っていない時もあった。それでも俺は満足だったよ。食う物と着る物さえあればね。いま思い返しても、自分の幼少時代に不満なんかこれっぽっちもない」
 
 ノリート少年にとって一番の楽しみはストリートサッカーだった。勉強は大の苦手で、「外で遊ぶことしか脳がなかった」という腕白坊主は、ストリートでは誰よりも輝いていた。現在のトリッキーなプレーからも、ストリートサッカー出身の名残が垣間見える。

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