関学DF濃野公人はなぜ鹿島入りを決断したのか。常勝軍団の“立ち返る場所”に魂が震えた。「一番大切にしてきたものがここにはある」

2023年06月25日 安藤隆人

サッカーになると人が変わる性格

鹿島内定が決まった濃野。クレバーかつ機動力に優れるサイドバックだ。写真:安藤隆人

 2023年6月9日、関西学院大4年生DF濃野公人の2024年シーズンからの鹿島アントラーズ入りが発表された。

 熊本県の大津高時代はFW、トップ下として、抜群のポジショニングとボールを受ける技術、ターンからパスを散らしたり、裏に抜けたりと、最前線での動き出しが多彩な選手だった。

 高校3年生では左サイドハーフでチャンスメイクからフィニッシュワークにまで関わる選手となり、関西学院大に来てからは2年生で右サイドハーフ、3年生から右サイドバックにコンバート。持ち前の攻撃センスをさらに開花させ、大学屈指のサイドバックにまで成長を遂げた。

 濃野の長所は『頭』にある。常にサッカーを客観的に捉え、チーム戦術や個人戦術を駆使して、どのポジション、フォーメーションでも持ち味を発揮できるからこそ、そのキャリアと能力が形成された。

 今回、インタビューを通して彼のサッカー人生、サッカー観、そして進路選択の裏側に迫った。

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「昔からお世話になったコーチなど、僕に携わったほとんどの大人たちが、『公人は負けず嫌い』と口を揃えて言います。それは僕自身も自覚があって、どんなに小さなミニゲーム、1対1でもすごく負けたくない、どんな手を使ってでも勝ちたいという気持ちを持っていて、それが今も全然変わっていないんです」

 濃野はこう自分の性格を分析する。小さい頃から練習のミニゲームでも、「いかにして勝つか」を常に考えていた。普段はもの静かで多くを語る性格ではないが、負けると感情が出てしまうこともあり、よく周りから「サッカーになったら人が変わる」と今でもよく言われるという。

「サッカーになったら何かが吹っ切れるというか、スイッチが入るんです」

 この性格が鹿島入りに大きく影響した。その経緯を書く前に、濃野のこれまでに触れていきたい。

 大阪府茨木市で生まれ育った。小さい頃から2つ上の兄を追ってサッカーを始め、サッカーが好きで、ガンバ大阪ファンの父親によく万博記念陸上競技場にG大阪の試合観戦に連れて行ってもらった。

 小学校3年生の時に父親の転勤で福岡県筑紫野市に引っ越すと、強豪のヴァレンティアFCに加入し、中学進学と同時にサガン鳥栖U-15に進んだ。

 持ち前の負けず嫌いをベースに、「僕はずっと小さいほうだったので、ポジショニングをすごく重視していて、いかに相手に捕まらないポジションを取り続けて勝負を仕掛けることをずっと考えていた」と、FWとして絶妙なポジショニングと裏へのスピードを駆使して、レシーバーとしてもフィニッシャーとしても機能するFWとなった。

【PHOTO】鹿島アントラーズの歴史を彩った名手たちと歴代ユニホームを厳選ショットで一挙紹介!

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