【ルーツ探訪】佐藤寿人――「回り道」

2015年12月04日 サッカーダイジェスト編集部

双子であるがゆえに経験した、忘れられない悔しい思い出。

4つのクラブを渡り歩いた佐藤。偉業達成の裏には、幾多の苦労があった。写真:サッカーダイジェスト

 11月22日のJ1リーグ第2ステージ最終節の湘南戦、佐藤寿人がついに「J1通算最多得点記録」の157ゴール目に到達。清水からのクロスをヘディングで合わせ、ゴールネットを揺らした。12月5日に開催されるチャンピオンシップ第2戦では、2013年シーズン以来のリーグ年間優勝を手に入れるべく、エースの爆発が期待される。

 彼のサッカー人生は、決して順風満帆だったわけではない。市原(現・千葉)を皮切りに、実に4つのチームを渡り歩き、試合に出られない辛い時期も経験した。しかし、そうした"回り道"を経たからこそ、「今の自分がある」と言う。
 
 本稿では、そんな佐藤のキャリアを紹介。2006年当時にサッカーダイジェスト誌に掲載したインタビューストーリーをお届けする。

【J1 PHOTOハイライト】佐藤寿人がJ1通算得点記録の157ゴールに到達!
 
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 埼玉県春日部市のとあるマンション。その2号棟と3号棟の間にあるわずかなスペースは、双子のサッカー少年にとって格好の練習場だった。

 そこは駐輪場の脇にあり、なぜか人工芝が敷かれていた。さながら小さなフットサル場である。ゴールはなくとも、自転車置き場の外枠をそれに見立て、毎日毎日飽きることなく、ふたりでボールを蹴り続けていた。
 
 自転車にぶつけては住民に怒られることもしばしばあった。だけどひとりだけ、ふたりを温かい目で見守ってくれるおばちゃんがいた。マンションの1階に住むそのおばちゃんには、むしろもっとも迷惑をかけていたはずである。

 しかし、おばちゃんはボールを蹴る音がうるさくても決して怒らずに、一生懸命練習する双子に「がんばってプロになるんだよ」と、優しい声をかけ続けた。
 
 それから数年後、双子はともにプロサッカー選手となっていた。おばちゃんのエールは、見事に現実のものとなったのだ。
 
「そこが僕らの原点。だから、おばちゃんには本当に感謝したいですね」
 
 佐藤寿人は当時の情景を思い出し、懐かしそうに目を細めた――。
 
 寿人と勇人(現・千葉)の佐藤兄弟もまた、他のJリーガーと同様に、物心つく頃にはサッカーボールを蹴り始めていた。

 先にのめり込んだのは、弟の寿人のほうだった。小学校に上がる頃には少年団に入ってプレーしたいという希望を抱くようになっていたが、兄の勇人はそれほどでもなく、当初は剣道をやるつもりだったという。
 
 だが、少年団に入った寿人の練習を一度見学に行った時、自分もやりたいと思い立ち、同じチームに加わった。ふたりのサッカー人生は、こうしてスタートした。
 
 ふたりはメキメキと上達していった。少年団の練習だけでは飽き足らず、マンションの隙間のふたりだけの練習場で毎日、陽が暮れるまでボールを蹴り合った。

 チームではトップ下の勇人からのパスをFW寿人が決めるという最強コンビを結成し、彼らが所属する大増サンライズFCは、埼玉県でも屈指の強豪チームとなっていった。
 
 しかし、双子という関係は、複雑な感情も呼び起こす。一方が上達すれば、一方が置いてきぼり感を味わう。スポーツという実力の世界では、それは顕著に表われる。ゆえに寿人には、今でも忘れられない悔しい思い出がある。

次ページ子どもの夢を叶えるために、自らの夢を捨てた父親の決断。

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