【消えた逸材】柏でもプレーした元セレソンMF。「ブラジル史上最高のボランチになれる」と期待されるも、馴染めなかった日本を去った後…

2021年09月30日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

03年ワールドユースでボランチながら得点王に

ブラジル代表では12試合に出場した。(C)REUTERS/AFLO

ドゥドゥ(MF/元ブラジル代表)
■生年月日/1983年4月15日
■身長・体重/186センチ・78キロ


 抜群のスタミナを活かし、自陣のボックスから敵陣のボックスまでを幅広くカバー。体格にも恵まれ、対人守備に滅法強く、空中戦も得意だった。

 さらに優れた状況判断力と高度なボールテクニックを兼ね備え、攻撃の起点となるだけでなく、しばしば強烈なミドルシュートも突き刺す。それまでブラジルにいなかったタイプの守備的MFは、「ブラジルのフットボール史上、最高のボランチになるのではないか」と将来を嘱望された。
 
 本名アレッサンドロ・シウバ・ジ・ソウザ、通称ドゥドゥ。ブラジル北東部セアラ州の出身で、ドゥドゥ・セアレンセの名前でも知られるMFは、2001年、中堅クラブのヴィトーリアでプロデビュー。17歳の若さだった。

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 02年後半からはレギュラーとして活躍すると、当時、ブラジル代表を率いていた名将カルロス・アウベルト・パレイラ(94年ワールドカップの優勝監督)に見初められ、03年6月に開催されたコンフェデレーションズ・カップのメンバーに20歳で選出された。

 同年11~12月には、UEAで行なわれたワールドユース(現U-20ワールドカップ)にも参加。ここでの活躍が出色だった。全試合に先発出場したドゥドゥは、ボランチながら4得点を挙げて大会得点王に輝き、チームを頂点に導いたのだ。ブラジル人フットボーラ―のエリートコースに乗ったと、誰もがそう思った。

 04年1月には柏レイソルに移籍。同年7月に開催されたコパ・アメリカにも招集され、優勝に貢献する。だが、日本での生活に馴染めず、Jリーグのプレースタイルへの適応にも手こずっていたドゥドゥは、コパ・アメリカ終了後、レンヌへのレンタル移籍を決意。レンタル期間が終了した半年後にCSKAモスクワと契約を交わし、新たな挑戦に踏み出した。
 
 CSKAではすぐにレギュラーの座を掴み、国内リーグやチャンピオズ・リーグで活躍。ビッグクラブへのステップアップが期待された。しかし、07年以降は筋肉系の故障が頻発。08年夏に渡ったオリンピアコスでも怪我が絶えず、ピッチに立てない試合が増えていった。そこに追い打ちをかけたのが、10年末の右膝半月板の怪我。手術が避け難く、長期間のリハビリを余儀なくされるのだ。
 

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