「やべっちFCの宿題はすぐにできた」“自称天才”西大伍が語る天才の正体【インタビュー】

2021年08月13日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「自分で天才だと言えば、それはもう天才」

自らを「天才」と称する西。その思考に迫った。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

「1パーセントの閃きと99パーセントの努力」

 かの有名な発明家トーマス・エジソンは天才をそう称したが、その言葉を訊いて思い浮かぶひとりが、西大伍というプレーヤーだ。

 様々な経験に裏打ちされた33歳のプレーはセンスに溢れ、時折あっと驚くようなテクニックとアイデアで極上の輝きを放ってみせる。

 もちろん真摯にサッカーに向き合う姿勢からは、旺盛な成長意欲と弛まぬ鍛錬を想像させるが、そのプレーは、努力の賜物というひと言ではどうにも理屈が通らない。

 神出鬼没の動き出し、異常なほど脱力感のあるボールタッチなど、それらには、やはり天性のインスピレーションを感じずにはいられないのだ。

 ピッチを離れても、奇才ぶりは垣間見える。

 いつも飄々としていて、どこか掴みどころがないキャラクターだが、試合前にファン・サポーターに「俺を見とけ」と呼びかけるような我の強さも窺える。

 なにより情報発信プラットフォーム『note』で自ら「天才 西大伍です」と名乗るのは、もはや異端と言う他ない。

 そんな"自称天才"が異能たる所以はなんなのだろうか。その正体を探るべく、本人の思考に迫った。

――◆――◆――
 
――まずサッカーにおける天才とは、どんなイメージですか?

「自分で天才だと言えば、それはもう天才なんじゃないですかね。最初は周囲に笑われながらも、次第に認められていく。そんなもんなんじゃないですか。逆に生まれながらの天才って稀だと思います」

――西選手は、まさに天才だと自称しています。

「そうです。僕の場合も生まれながらの天才ではありません。経験を重ねて天才になりました」

――経験によってどう変わってきたのでしょうか?

「考え方や物事の引き出しを増やしてきた感覚ですね。そのなかから一瞬でどれを選ぶかというのは、また違う能力かもしれませんけど」

――noteには「人、本、出来事に育ててもらった」と書いていましたね。

「はい。要するに日常の全部です。サッカーの練習をすること、試合を見ることもそうですし、何気ない人との会話も、釣りもそう」

――すべてが自分の考え方を形成していると。

「そういうことです」

――西選手は多趣味ですよね。釣りやピアノなど色々なことにトライしているのは、成長しようという意図からなのでしょうか?

「最初はそうでしたけど、今はただ好きだからやっている感じです。人間って自分が求めているものは自然と頭に入ってくるものじゃないですか。一度読んだ本を何年後かに読み返した時に、まったく違う言葉が印象に残ったりしますよね。それって時が経って自分の価値観が変わっているからだと思うんです。その時々で得られるものは違うから、好奇心が湧いたものはなんでも、すぐにやるようにしています」

――小さい頃から好奇心は旺盛でしたか?

「そうだったかもしれないです。でも成長できたのは、人との出会いに恵まれた部分が大きいんじゃないかな。ある人にとっては良い指導者でも、他の人からしたら良いとは言えないかもしれない。逆に悪い指導者と言われていても、自分にとってはすごく合っているかもしれないじゃないですか。僕が今まで出会った人は良い人ばかり。その点で運が良かったです」
 

次ページ「自分でさえミスが起こるんだから仕方ないなと、そう考えを変えた」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事