「僕は二重人格なんです」いつも母親の背中に隠れていた少年がファイターと化すまで【酒井宏樹のルーツ探訪/東京五輪】

2021年07月29日 鈴木潤

小学5年の時にはエースストライカーとしてゴールを量産

FWとして鳴らした小学生時代。身体能力を活かしてゴールを量産した。写真提供:倉持行一(マイティー・スポーツクラブ代表) 

 東京五輪で悲願の金メダル獲得を期す、選ばれし22人。全世界注目の戦いに挑んでいる彼らは、この大舞台に辿り着くまでどんなキャリアを歩んできたのか。

 オーバーエイジとして頼もしい活躍を見せる酒井宏樹。常に謙虚で、誰に対しても優しい性格のSBだが、幼少期には時として、それが弱々しくも映った。しかし酒井はいまや、ひと度ピッチに立てば、闘志を剥き出しにして勝利だけを追い求めるファイターと化す。その二重人格はいかにして形成されていったのか。

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 幼い頃の酒井宏樹は、活発なふたりの兄に比べると人見知りで、いつも母親の背中に隠れているような子だった。兄の影響でサッカーを始め、柏マイティーに入団したのが幼稚園年長の時だ。

 生粋の"柏っ子"である宏樹は地元のJクラブ、柏レイソルのファンになり、練習場へ赴いた際には当時柏でプレーしていた酒井直樹(現・柏U-18監督)に「名前が一文字違いなんです」と言い、サインを貰って一緒に写真を撮ったという逸話がある。

 引っ込み思案ゆえ、柏マイティー入団後も周囲に慣れるまでには多少の時間を要したが、慣れてしまえば「コート狭し」と言わんばかりに溌剌としたプレーを見せた。ジュニア時代の宏樹を指導した柏マイティーフットボールクラブ代表・倉持行一は、当時をこう振り返っている。
 
「プレーに力強さと、一瞬の速さがありました。ボールを奪われそうになっても、奪われずに前に出て行けるバネを持った選手でした。蹴り方も今とまったく変わっていません。ただ今と違うのは、うちではFWをやっていたんです」

 小学5年の時には上級生のチームに入り、エースストライカーとしてゴールを量産した。右サイドのスペースに流れるプレーを好み、サイドからクロスを上げる、または斜め45度の角度からシュートを放ち、ネットを揺らす。

「宏樹のことを知らないチームと試合をすると、だいたい3分に1点は取っていたと思います。あれだけの身体能力があるので、子どもたちのなかでは圧倒的だったんです」

 身体能力に優れた子は、時にその能力頼みに陥る傾向があるが、宏樹は違っていた。「ボールを持ったら自由にやらせる」という柏マイティーの環境下で自分の特長を存分に発揮しながらも、倉持が「両足のシュート練習も、1対1の練習も、宏樹が一番やっていました」と振り返るように、熱心にトレーニングに打ち込み、キック、テクニックといった技術レベルを身につけていった。

 高い身体能力に精度の高いキックとテクニックが加われば、もはや向かうところ敵なしである。とある敗色濃厚の試合では、土壇場に宏樹が同点弾を決め、PK戦へ持ち込んだ。すると自らがGKを務め、相手のキックを止めて勝利したこともあった。チームではずば抜けた存在で、揺るぎない中心選手。5年生にして柏市トレセンに選ばれたのも当然だった。

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