【消えた逸材】ミランとドイツ代表で期待されたMFの転落…それでも夢はW杯出場!

2021年07月26日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

ピルロやセードルフと中盤を形成。

ミラン時代に頭角を現わしたメルケルだったが、以降は大きなインパクトを放てなかった。 (C)Getty Images

アレクサンダー・メルケル(MF/カザフスタン代表)
■生年月日/1992年2月22日    
■身長・体重/179cm・73kg    


 ときは2010年12月。若手逸材の台頭が目覚ましいドイツに、またひとりスター候補生が出現した。マリオ・ゲッツェやマルク=アンドレ・テア・シュテーゲンと同じ92年生まれのテクニシャンで、ミランに所属するMFアレクサンダー・メルケルがチャンピオンズ・リーグ(CL)にデビューしたのだ。

 弱冠18歳のプレーメーカーはその翌月にセリエAの舞台に初めて立ち、同20日のコッパ・イタリア(バーリ戦)でプロ初得点を記録した。このインパクトが大きかったのは、当時のミランがスター軍団だったゆえ。CLデビューのわずか1か月前まで、プリマベーラ(U-19チーム)で先発とベンチスタートを繰り返していた青年が、ロナウジーニョやアンドレア・ピルロ、クラレンス・セードルフら名手と中盤を形成する。人々の好奇心を掻き立てるには十分なニュースバリューがあった。
 
 なかには「時期尚早。実力が伴っていない」との見方もあったが、「有望なデビュー」(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)、「天才児」(コリエレ・デロ・スポルト紙)といった現地からの発信に、ドイツのメディアも呼応した。メルケルの両親がドイツ系ロシア人のため、気の早いことに「欧州サッカー界でもっとも注目に値する若き才能のひとつを失う可能性がある」と、ドイツ代表への早期招集を催促するような記事も見られたほどだ。
 
 しかし、A代表待望論が本格化することは一度としてなかった。スター軍団の中で思うように出番を増やせなかったメルケルは11年夏、共同保有先となったジェノアへと移籍。前半戦だけでセリエA13試合に出場すると、冬にはMFの怪我人が相次ぐミランから呼び戻される。だが、その直後にみずからが膝の怪我で離脱。12年夏に復帰したジェノアではバックアッパーに甘んじ、13年1月にウディネーゼ移籍と、有望株のキャリアは停滞してしまう。この頃にはすでにドイツのユース代表から疎遠になっていた。

 その後、ウディネーゼでも飛躍の兆しを見せないメルケルに転機が訪れた。ブンデスリーガのクラブからオファーが舞い込んだのだ。しかし、本人も前向きだった渡独は叶わず、ウディネーゼとオーナーが同じワトフォードにレンタル。メルケルは後に『transfermarkt』(ウェブサイト)のインタビューで「本当にがっかりした」と振り返っている。

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