【明神智和】ボクはこうしてプロになった③|転機となった監督からの金言。「ボールを持っている時間はひとり2、3分」

2021年04月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

山本昌邦監督からの言葉で生きていく道が見えた

明神氏が師事した監督たち。左からトルシエ、山本、西野。(C)SOCCER DIGEST

 柏レイソルやガンバ大阪などで名高い活躍をし、ワールドカップにも出場した元日本代表の明神智和氏。現在はG大阪ユースコーチとして指導者の立場にある同氏が、プロを目指す子どもたちに伝えたいこととは――。

 第3弾は、数々の指導者から受けた影響、そして指導者となった今、自らがどんなプロ選手を育てていきたいかについて語ってもらった。

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 これまで本当にたくさんの指導者の方に教えていただいて、今振り返ると、本当にいろんな人との出会いがあったからこそ、プロになれて長く活躍できたのだと素直に思います。

 僕自身が、プロになりたいと真剣に考えたのは、中学3年生の夏以降。今とは時代もちょっと違い、小学生の頃にはプロがなかった世代です。だから、小さい頃はとにかく楽しくサッカーをやるだけでした。

 中学生年代になって初めてサッカーを頭で考えてプレーする経験をしました。当時イーグルスユナイテッドFC(現柏イーグルス)という千葉県内のクラブチームに入っていて、二人のコーチから、サッカーを楽しむという部分にプラスして、考えるということを教わりました。

 とはいえ、内容は現代のような戦術的な話や、細かい技術的なことではなく、小学生でも分かるような基本的なことばかり。今までは感覚だけでやっていたことを、少し考えてプレーすると良いよというものです。

 その後に入った柏レイソルユースは、いわゆるプロクラブの下部組織。よりプロが間近にあるなかで、とにかくキック、走る、ゲーム、その3つをとことん教えられました。
 
 考えてプレーすることを強く意識したのは、1996年に初めて呼ばれたユース代表(U-19日本代表)に参加した時でした。

 僕自身、技術にコンプレックスがあって、なかなか上手くいかないなかで、ポジションも前をやったり、後ろをやったりと、いろんなところをやって、初めてユース代表に選ばれた時に、当時の山本昌邦監督に「90分の中で、ボールを持っている時間はひとり2、3分だ。残りの87分はボールがない時間。ボールがない時間がこれだけあるのだから、その時間にどれだけ良いプレーをするか。ボールの無い、オフ・ザ・ボールの時のプレーの質がものすごく大事だ」と言われて、初めて自分自身が「これが生きていく道なのかもしれない」と思わせてもらえました。

 今まではミスにせよ、良いプレーにせよ、ボールのある所ばかりにフォーカスしていたのが、そういうところじゃない部分のプレーにも力を入れるように、より考えるようになりました。

 高校年代では全く選抜にすら選ばれたことがなく、そういうなかでもプロにはなれましたけど、チャンスが無ければ2年ぐらいでクビになるかもなと思っていた時期だったので、自分の生きていく道を見つけられたあの言葉や出会いというのは本当に嬉しかったです。
 

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