【消えた逸材】名将ファーガソンに見初められた“次代のアンリ”はなぜ大成しなかったのか?「プライベートを犠牲にしてまでバロンドールは…」

2020年12月22日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

インドアの全国大会の60メートル走で優勝

ファーガソン監督に見初められた入団したユナイテッドでは、強烈なインパクトを残せなかった。 (C)Getty Images

ダビド・ベリオン(FW/元フランスU-21代表)
■生年月日/1982年11月27日
■身長・体重/181㎝・78㎏


 パリに本拠を構えるレッドスターは、1897年創立というフランスで3番目に古いクラブだ。現在は3部リーグに相当するナショナルに属し、リーグ・アンを戦ったのは1974-75シーズンが最後と表舞台からはすっかり遠ざかっているこの老舗クラブで、刺激的な挑戦の日々を送っているのが、将来を嘱望されたかつての逸材、ダビド・ベリオンだ。
 
 レッドスターでの肩書きは、「ブランドマネジャー/クリエーティブディレクター」。聞きなれないこの役職は、本人によれば「フットボールとカルチャーを結びつける」仕事で、音楽、ファッション、教育、芸術といった分野との融合を図り、新たな価値の創造に取り組むものだという。

 フットボールの才能には恵まれていた。しかし、それを伸ばすことに熱心ではなかった。「僕は夢想家なんだろうね。これは父親譲りなのかな」と語るベリオンは、レッドスターでの第二のキャリアを心から満喫している。
 父親はセネガル移民、母親はフランス人で、パリ郊外のイル=ド=フランスで生まれた。パリを円環状に取り囲むイル=ド=フランスはフランスでも指折りのタレントの宝庫で、ポール・ポグバやキリアン・エムバペもこの地域の出身だ。

 ベリオンは子供の頃から運動神経が抜群だった。陸上のスプリンターとしても鳴らし、インドアの全国大会の60メートル走で優勝した経験もあるほどだ。14歳でカンヌの下部組織に加入し、スピーディーなアタッカーとして頭角を現わすと、18歳で当時プレミアリーグのサンダーランドに引き抜かれた。プロデビューはこのサンダーランドで飾り、粗削りながら持ち前の快足で注目を集め、チームが2部に降格した2年目の2002-03シーズン終了後だった。マンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決まるのだ。

 ユナイテッドを率いる当時のアレックス・ファーガソン監督は、20歳のスピードスターに「次代のティエリ・アンリ」の可能性を見出し、水面下で接触するタップアップ(いわゆるタンパリング)のルール違反が疑われたほど獲得に血道を上げた。

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