「スタイルを貫くことで記憶に残るチームに」愛弟子・中西哲生氏が明かす名将ヴェンゲルの“グランパス改革”/後編

2020年06月17日 江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)

「この頃のストイコビッチは、誰も止められなかった」

名古屋を強豪に押し上げたヴェンゲル監督はアーセナルへ引き抜かれ、惜しまれつつ日本を去った。(C) Getty Images

 Jリーグが中断中のなか、「DAZN」では「Re-Live」と称して過去の名勝負を放送中だ。現在配信中の1995年のJ1セカンドステージ第1節、名古屋グランパス対ジュビロ磐田で解説を務めた中西哲生氏に、この試合、そしてアーセン・ヴェンゲル監督に率いられた当時の名古屋のエピソードを伺った。フランス合宿を経て、生まれ変わったチームは、ドラガン・ストイコビッチを中心に「記憶に残るサッカー」でクラブ初タイトルへと突き進んで行った。

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――中断明けから怒涛の巻き返しを見せ、第1ステージは4位でした。迎えた第2ステージの開幕戦で当たった磐田には、第1ステージで2-6の完敗を喫しています。

「ヴェンゲルにめちゃくちゃ怒られたので、大敗したのはよく覚えています。ただ、この頃にはもうチームの状態が良くて、自信も生まれていたし、やるべきことをみんなだんだん理解できていたので、もうサッカーが楽しくて仕方がない、という感じでした。そういう意味で、この試合に臨むに当たっても、自分たちの良さを出すんだという事にフォーカスできていたと思います。

 もともとヴェンゲルは、開幕戦とか決勝戦みたいな大事なゲームの時は、比較的指示がシンプルで、あまり細かいことを言わないんですよ。我々のプレーをちゃんと見せよう、みたいな感じで。第1ステージの終盤はずっと勝っていたので、やるべきことは分かっていたし、迷いもなくシンプルな気持ちでこのゲームに入れたと思います」

――結果は4-0の完勝。ストイコビッチ選手が全ゴールに絡みました。

「覚えています。この頃のストイコビッチは、誰も止められなかった。彼自身の身体がキレていたというのもありますけど、周りがようやく彼に貢献できるようになってきた。要するにアイツの前に選択肢が増えれば増えるほど、活きるわけですよ。アイツの周りを追い越していけば、自分がボールを受けられなくても、ストイコビッチにとっては選択肢がひとつ増えて、相手にとっては対応しづらい状況になるわけじゃないですか。そこがすごく良くなった。どこに出そうかなみたいな感じで、楽しそうにプレーしていましたね」
 

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