カズ落選、アトランタ世代の台頭…井原正巳はW杯初出場チームをどうまとめ上げたのか?【日本代表キャプテンの系譜】

2020年05月12日 元川悦子

新連載『日本代表キャプテンの系譜』vol.1井原正巳|大会直前に膝を負傷…怪我を抱えながらチームを統率

フランスW杯の日本代表でキャプテンを務めた井原。自身も怪我を抱えつつも、チームをまとめ上げた。(C) Getty Images

 98年フランス大会から6度のワールドカップに出場している日本代表。チーム状態も結果も大会ごとに異なるが、全世界が注目し、プレッシャーのかかる大会でチームを力強くけん引したのがキャプテンの存在だ。井原正巳(柏ヘッドコーチ)をはじめ、森岡隆三(解説者)、宮本恒靖(ガンバ大阪監督)、長谷部誠(フランクフルト)と過去4人が大役を務めているが、それぞれ困難や苦境に直面し、自分なりのアプローチで解決策を見出してきた。それぞれのチームにおける歴代キャプテンのスタンスや哲学、考え方をここで今一度、振り返っておきたい。

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「外れるのはカズ、三浦カズ」
 日本代表が史上初の98年フランス・ワールドカップに挑もうとしていた約10日前の98年6月2日。岡田武史監督(現FC今治代表)は直前合宿地のスイス・ニヨンで開いた青空会見で、三浦知良(横浜FC)、北澤豪(日本サッカー協会理事)、市川大祐(清水アカデミーコーチ)の3人を最終登録メンバーから外すことを明らかにした。

 日本中が騒然となった一大事を誰よりも重く受け止めていたのが、キャプテン・井原正巳だった。「ドーハの悲劇」をともに味わったカズ、北澤という盟友がチームを離れるなか、未知なる強敵に立ち向わなければならないのは大きな不安がつきまとう。しかも、この時点で海外リーグ経験者はカズ1人。当時世界最高峰と言われたセリエAでの国際経験値を持つ人間がいなくなることは、ダメージ以外の何物でもなかった。

「今、ここにいるメンバーで戦うしかない。カズさんたちの落選のことは喋りたくない」と本人は気丈に振舞っていたものの、重苦しいムードに包まれた同日夕方の練習で膝を負傷。本大会出場が危ぶまれる状態に陥った。怪我を抱えながら、チームの動揺を収束させ、一体感を高めていく作業は想像を絶するほどの困難だ。ワールドカップ初参戦を目前にした代表チームにおいて、キャプテンは嵐の中にいた。

「カズさんたちが外れたうえ、自分も怪我をしてしまい『本当にどうなるのか』という思いはありました。ただ、キャプテンという立場上、それを引きずってはいけないし、初戦・アルゼンチン戦が迫るなか、チーム一丸となって戦うしかない。パワーをそちらに振り向けることに集中しました」

 岡田監督からも「しっかりチームをまとめてくれ」と声をかけられた井原は「監督の決断に従うのが選手。全てを受け入れてやるしかない」と腹をくくった。とにかく冷静さを保ち、仲間を動揺させず、チームをギクシャクさせないことを最優先に考えて行動しようと心掛けたのだ。
 

次ページ現実をよく理解していた井原は、年下の選手たちを上から押さえつけるようなことは一切しなかった

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