【岩本輝雄の英雄列伝|森保一編】鋭い観察力と的確な助言。太腿の筋肉も半端ない!

2020年04月23日 岩本輝雄

仙台での2年間は、今思えば、贅沢な時間だった

現役時代は仙台(写真)ほか、マツダ/広島、京都でプレーした森保。日本代表でも献身性溢れる守備的MFとして活躍した。(C)SOCCER DIGEST

「森保一」という選手をちゃんと認識したのは、93年ぐらいかな。翌年のアメリカ大会でワールドカップ初出場を目指す日本代表で活躍していて、最初は「この名前、なんて読むの? モリ? モリホ?」みたいな(笑)。名前から入りましたね。

 そんな森保さんとは、94年のファルカン時代の日本代表で初めてチームメイトに。ただ、一緒にプレーする機会がそこまで多くなかったから、正直、あんまり印象に残っていない。というか、当時の僕の中ではまだ「あ、テレビで見たことある人だ」という感覚だった。

 距離がグッと縮まったのは、それから数年経ってから。98年、僕も森保さんもそのシーズンに京都に新加入。森保さんはまとめ役として、良きお兄さんみたいな感じで、チームの中心的存在だった。免許のない僕は、たまに家に迎えにきてもらったりしてね(笑)。

 しょっちゅう話をしていましたね。サッカーのことはもちろん、人間的な部分についても。まあ、その頃の僕は、ありていに言えば、反発心が強かったというか、言うことをあまり聞かないタイプというか……そんな僕に、いろいろとアドバイスをしてくれました。こういう時は、こうしたほうがいいぞ、とか。
 
 京都時代は、シーズン途中に監督がオフトから清水秀彦さんに代わって、中盤は菱形に。トップ下はシーラス、右に山田隆裕、左に僕、そしてアンカーが森保さん。ここは絞って、このタイミングは外に出てとか、頻繁にそういうコミュニケーションも取っていた。

 さらに、02年には、仙台で再び、チームメイトに。練習場には、選手たちが着替えたり休んだりする部屋があって、そこで僕はいつも練習前に軽い筋トレのメニューをこなすんだけど、森保さんもその場に必ずいたんだよね。一緒にトレーニングをしながら、そこでもいろんな話をしていた。

 内容は、「あそこでクロスを上げたほうがいいんじゃない?」とか、もちろんサッカーの話はするけど、今後の人生についてとか、他愛のないことだったり、くだらないことだったり。でも、それが"日常"だったからね。仙台で一緒にプレーしたのは2年間だけど、今思えば、贅沢な時間だったよね。僕にとっては、本当に財産だよ。

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