【連載・東京2020】立田悠悟/後編「先を行く冨安健洋の存在『いつ追い越せるか分からない。それでも…』」

2020年01月13日 前島芳雄

「“それ”からプロでやりたいという気持ちがやっと強くなった」

今年でプロ4年目を迎える。立田にとって”五輪イヤー”は大きな転機になる可能性も。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年7月に開催される東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。

 8回目は、190㌢を越える長身と身体を張った豪快なシュートブロックが光る立田悠悟が登場。

 清水区で生まれ育ち、そのまま清水のジュニアユース、ユースを経て2017年にトップチームに昇格。世代別代表にはU-17代表からいつも名を連ねてきた。しかし本人は決してエリートではないという。なぜ立田は世代屈指のCBに成長できたのか。

 後編では、プロの舞台を現実的に考え出した高校2年生からプロ入りしてからの苦悩や葛藤、そして東京五輪への想いも語ってくれている。

前編はこちら
【連載・東京2020】立田悠悟/前編「『あいつらはみんな命懸けだった』サッカー観を変えた恩師の問いかけ」

中編はこちら
【連載・東京2020】立田悠悟/中編「劣等感を抱いていた中高時代。それでも這い上がれた理由」

───◆───◆───
 
――年代別の日本代表に初めて入ったのも高校2年生の時ですね。
「初めは『なぜ僕が』って感じでした。正直プレミアリーグでのプレーは酷かった自覚がありましたから。でもU-18のSBSカップやU-17日本代表の遠征に参加させてもらって、海外の選手に対してもやれるんだと多少分かったしし、自信がつきました」

――その頃からトップ昇格を意識し始めたり?
「その時もそんなに考えてなかった。というか、自分がトップに上がれるなんて思ってもいなかったです」

――プロへの意識が芽生えたのはいつ頃?
「高2の最後に豪とふたりで、トップチームの鹿児島キャンプに呼んでもらえた時ですね。何もできなかったですが、それからプロでやりたいという気持ちがやっと強くなってきました」

――それから3年生になって、今度は自分がユースチームを背負う立場になります。どんな想いでプレーを?
「キャプテンは平松昇(立正大)でしたが、僕は副キャプテンだったので、ゲームキャプテンをやることも多かった。僕がやらないといけない、僕が周りを動かさないといけないとチームを引っ張ろうという気持ちはありましたし、下の年代に尊敬されるのも大事だと思っていたので、責任感はすごく増しました。プレー面でも、できることがかなり増えていって、すごくやりがいを感じていたし、自信も深まってきていた。そういう意味では精神的な余裕はありました」

次ページ「ユースの頃よりも自主練をするようになった」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事