通訳→コーチ→強化SD。「あまりない」キャリアを歩んだキム・チョンフンが語った鳥栖への感謝

2019年12月26日 サッカーダイジェストWeb編集部

「どうして、そんなに通訳が上手なんですか?」

通訳も務めていたキム・チョンフン氏は、その腕にも評判があった。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 12月15日、鳥栖からキム・チョンフンスポーツダイレクターの退任が発表された。10年から監督通訳、コーチ、強化部と裏方と呼ばれる立場で鳥栖に尽力してきた。振り返れば、10年という歳月が経過していた。

 区切りとし、次のステージへと進むにはいい機会だった。始まりは通訳だった。選手としてもともにプレーした経験のあった尹晶煥監督に請われる形で鳥栖に戻ってきた。

「選手の通訳ということだったら恐らく断っていました。自分自身、将来的に監督を目指すという目標がありました。監督の通訳であれば、その疑似体験ができる。そう考えました。昇格やJ1での戦いなど良い時期を経験できたし、結果がついてきたことで自信にもなった」
 通訳としてのレベルは極めて高かった。練習や試合での指示、メディアとのやり取りにおいて淀みが生じることはなかった。異言語でのやり取りであるはずなのにそこにはラグもストレスも一切、なかった。

 在日韓国人の使うハングルには特有のなまりのようなものがあるという。しかし、キム・チョンフンのハングルは韓国で生まれ育った人が使うものと遜色がなかった。その背景にあったのは言葉に対する自身の感性と努力があった。

「林(彰洋/現FC東京)が加入して間もないとき、『どうして、そんなに通訳が上手なんですか?』と言われたことがあります。彼はハングルを分からない。でも、上手いと感じてくれていた。それは多分通訳の作業自体じゃなく言葉が上手く伝わっている、彼らの心に入っているからこその言葉と受け取りました。

 自分がなぜ上手くなったか。韓国の世代別代表に選ばれたときに合宿など経験して急激に上手くなった。当時、ハングルは本当に美しいと思ったし、ハングルを好きになった。好きにならないと身に入ってこない。だから、努力することができた」

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