1年でのJ1復帰は叶わず、無念の12位止まり…V・ファーレン長崎が強いられた苦戦の“引き金”

2019年11月28日 藤原裕久

昨年は『チーム高木』というべき体制で戦ったが、今年は…

体制を大きく変えた今季、22ゴールを決めた呉屋らの奮闘もあったが、J1昇格は叶わず……。写真:滝川敏之

「1年でJ1に帰ります」

 昨年末の就任発表会見で、手倉森誠監督がそう語ってから約1年、長崎は12位でJ2のリーグ戦を終えた。成績だけで言えば、期待を大きく裏切ったシーズンと言っていい。

「対相手と自チームの状況、打とうとする手、使おうとする武器……。連戦の中、カップ戦とリーグ戦で選手の使い分けをしたんだけど、際(きわ)の勝負のところ……。そこでの起用の見極めは、個人としての反省点だった」

 最終節の新潟戦後、監督自らが口にした通り、6年ぶりのJリーグでの指揮という中で、見極めや判断の部分で計算違いがあったのは否定できないだろう。だが全てを監督ひとりの責任とすることは妥当ではない。苦戦の引き金となったのは、昨季からの継続性の問題だったからだ。
 
 昨季までチームを率いた高木琢也前監督(現・大宮監督)は、クラブのJ参入以来6年に渡り、自身のスタイルを理解して適応できる選手やコーチ、強化スタッフを揃え、『チーム高木』とでもいうべき体制を構築しながら戦っていた。それがチームの一体感を作り出し、チームの原動力にもなっていた。

 手倉森監督も、代表で一緒に仕事をした早川直樹フィットネスコーチや池辺友和チーフマネージャー、角田誠や亀川諒史といったともに戦った選手らをチームに加えたが、就任2か月で4バックやポゼッションスタイルへの転換を進めながら戦うには、それでは不十分だった。クラブやチームの状態を熟知し、監督招聘や新加入選手の交渉にもあたった竹村栄哉強化部長(現・仙台強化部)、田上渉強化担当が、J2降格の責任を取る形でチームを離れた影響が大きかったのだ。

 チーム内のパイプ役でもあったふたりが同時に去り、新任の山道守彦強化部長(現・強化担当)の合流が1月となったことで、強化の引き継ぎは実務中心で、新強化部は信頼関係の構築や状況把握から行なわねばならず、強化への対応が後手に回った感は否めない。そのため、今季は例年に比べて一体感に弱さを感じることが多かった。

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