【消えた逸材】ペップが太鼓判を押した「メッシ2世」。マンC移籍を境にキャリアは下降線を描き…

2019年11月23日 下村正幸

いつしかチーム内で浮いた存在になっていた

グアルディオラが見初めたバルサ時代。順調に成長を続けていたが……。(C)Getty Images

  有望な若手が台頭したとき、プレースタイルの似たビッグネームを重ね合わせ、「後継者」や「2世」などのフレーズを用いて期待の大きさを示すのは、洋の東西を問わない表現方法だ。
 
 ドリブルで敵陣を切り裂くプレースタイルと、その容姿が似ていることから、バルセロナのカンテラ時代に「メッシ2世」と名付けられたガイ・アスリンも、そのひとりだった。
 
 ガイ・アスリンは12歳でバルサのカンテラに入団。当初から圧倒的な才能を発揮して順調にカテゴリーを昇格し、4年後にはジョゼップ・グアルディオラ監督率いるBチームの一員としてプレーするまでに成長した。
 
「稀に見る才能の持ち主だ。ただ、まだ若い。周囲のアドバイスに耳を傾けながら、少しずつ成長していけばいい。焦る必要なんてどこにもない」
 
 当時のペップはそう評し、ガイ・アスリンの将来性に太鼓判を押した。
 
 その後も順調に成長を続け、09年夏には前年に内部昇格したグアルディオラ監督に抜擢され、トップチームのプレシーズンキャンプに帯同。10月にはコパ・デル・レイでトップチームデビューを果たす。
 
 しかし結果的に、この順調すぎる歩みが将来を暗転させる一因となる。能力への過信と逸る気持ちが、若き天才をスタンドプレーに走らせたのだ。その姿勢を、当時Bチームを率いていたルイス・エンリケが問題視し、出場機会は激減。日頃の態度も悪くなり、指揮官との関係がさらに悪化するという負のスパイラルに陥り、いつしかチーム内で浮いた存在になっていた。
 

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