【連載・東京2020】大迫敬介/前編「広島ユースは理想郷だった。高校サッカーの選択肢もあったけど…」

2019年10月16日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「他の人はGKを嫌がっていたけど、僕は全然嫌ではなかった」

3兄弟の次男は、兄に連れられサッカーを始めた。写真:秋田耕二(スタジオサンエス)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。

 7回目は、抜群の反射神経を活かしたセービングが持ち味で、今季上位争いをするサンフレッチェ広島の堅守を支えている大迫敬介が登場。

 中学時代まで鹿児島で過ごした大迫は、プロを夢見て広島ユースへと入団。高校3年への進級を間近に控えた17年3月にトップチームとプロ契約を結ぶと、今年は広島の正守護神の座を射止め、さらに今年5月のキリンチャレンジカップでは当時19歳にしてA代表に初選出と、飛躍のシーズンを送っている。まさに破竹の勢いでステップアップする守護神は、いかに育ってきたのか。

 前編では、サッカーを始めたきっかけから、中学卒業後に生まれ育った鹿児島を出て、広島へと単身で渡った想い、多忙過ぎる高校時代の苦悩と、それを乗り越えられた理由をお届けする。

───◆───◆───
 
――サッカーを始めたきっかけは?
「7歳の時だったでしたかね……、兄が近所の友達に誘われて、それについていったんです。そこでボールを蹴ったら、とにかくすごく楽しくて」
 
――3兄弟みんなサッカーをやっていたようですね。
「みんな、やっていました。弟が僕らのあとから始めました」
 
――そのまま江内サッカースポーツ少年団に入団しますが、はじめからGKだったのですか?
「始めた頃は特にポジションは関係なく、遊び感覚でただボールを追いかけているだけでした。ただ半年くらい経った頃にはGKをやっていましたね」
 
――なぜGKを?
「GKのポジションが空いていたというチーム事情もありましたけど、遊びでやっている時に、シュートを止めるって楽しいなって、そういう感覚があったんです」
 
――GKは敬遠されがちなポジションです。嫌ではなかったですか?
「たしかに他の人は結構GKを嫌がっていたのですが、僕はまったく嫌ではなかったです」
 
――子供の頃に憧れていたのは川口能活選手(現ナショナルトレセンGKコーチ)だったらしいですね。どこに惹かれたのですか?
「魂や闘志溢れるプレーがなにより魅力的でした。特にブラジルに勝った試合(マイアミの奇跡)は、動画を見て衝撃を受けました。とにかくシュートを止めまくって、能活さんが勝たせたと言っても過言ではないくらいの活躍でしたよね。GKは試合を勝たせられるんだと、示してくれましたし、すごく参考にしていました。今でも僕の理想像です」
 

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