【連載・東京2020】神谷優太/中編「高校時代は朝5時半から自主練。そして礼節も学んだ」

2019年07月25日 サッカーダイジェスト編集部

きつい状況でも一歩を踏み出せるようになった

青森山田高時代には様々な経験を積み、逞しさを増した。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。
 
 5回目は、切れ味鋭いドリブルが持ち味で、年々類稀な攻撃センスにさらなる磨きをかけている神谷優太が登場。
 
 湘南に加入した2016年にはルーキーながらリーグ戦14試合に出場するなど、プロの舞台でもすぐに存在感を示すと、昨年からレンタルで加わっている愛媛では10番を背負い、チームを牽引。世代別代表にもコンスタントに名を連ねるエリートは、いかにその攻撃センスを身に付けてきたのか。その裏には、驚異的な決断力と行動力があった。
 
 中編では、全国選手権常連の強豪校・青森山田高で得たかけがえのない経験、湘南入りの経緯、曺貴裁監督との出会いを振り返ってもらった。
 
前編はこちら
【連載・東京2020】神谷優太/前編「プロになるのは当然。その先を見据えていた」
 
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――青森山田高時代で、辛かった経験は?
「雪の上でプレーするのはしんどくて、全身を攣ったことがありました。雪の上だとドリブルとかほぼできなくて、もう削り合いに近い感じになる。しかも、ゲームとかで負けたチームは走らされる。でも、チームメイトたちはそういうのを淡々とこなすから、驚きました」
 
――雪国の高校ならではのエピソードですね。
「絶対にこれからも味わうことはないでしょうし、ものすごく良い経験になりました」
 
――そこで身についたものは?
「フィジカル的な部分では、走れるようになりました。メンタル的にも鍛えられて、きつい状況でも一歩を踏み出せる。ヴェルディにいる時と比べて、そこは変わったかなと」
 
――高校時代、周りと自分との違いで感じたことは?
「"青森山田"というブランドは凄いし、そこの10番、エースというのは誰からも注目されます。高3の時の成績はプレミアリーグ2位で、選手権はベスト4。まあまあの結果を残したと思います。大きなプレッシャーを感じながらも、それなりに結果を残せたことは、自分にとって一番の財産でもありますね」
 
――"自分はできる"という確かな自信はあったと思います。ただ、青森山田には実力者が集まる。その中でどうアピールしようとしていましたか?
「実力の差を見せつけようと。自分の理想に近づくためにも必死で練習しました。誰よりも朝練をしましたし」
 

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