ブラジルのGK育成事情に迫る! 「行くところには草も生えない」と揶揄される国でアリソンらはいかに育まれたのか?

2019年07月06日 沢田啓明

大きなターニングポイントは1971年

世界トップクラスの評価を受けるのが、リバプールのアリソン(右)とマンチェスター・シティのエデルソン(左)だ。彼らはいかに育まれたのか。(C)Getty Images

 セレソン(ブラジル代表)で正GKを務めるアリソン(リバプール)が8000万ユーロ(約100億円)、控えのエデルソン(マンチェスター・シティ)が7000万ユーロ(約87億5000万円)――。

 複数の要素からその選手の価値を査定、提示するウェブサイト『transfer markt』による現時点の推定市場価格だ。ともにGKとしては世界トップレベルの金額である。

 ブラジルと言えば、優秀なFWを次々と輩出してきたアタッカー大国だ。その一方で、守備的なポジション、とりわけGKは、国際レベルのタレントが長らく育たなかった。それには、いくつかの理由があった。

 まず、不人気なポジションだったのがひとつ。運動能力の高い子供たちは、GKを目指さなかった。最大の喜びであるゴールに絡めない地味なポジションであり、そのうえ自身のミスでチームが負ければメディアやサポーター、時にはチーム関係者からも徹底的に糾弾される。

 それに対してアタッカーは、どれだけ決定機を外そうが最終的にゴールを挙げ、それでチームが勝てばヒーローだ。GKはまったく割に合わないポジション、そう思われていた。

 この国には、「GKが行くところには草も生えない」という慣用句がある。GKが盛んに動き回るゴール前の芝生が剥げやすいことから生まれた言い回しで、人々はそんな陰口を叩いてGKというポジションを揶揄してきたのだ。

 次に、自国で開催した1950年ワールドカップ(W杯)の一件だ。セレソンは優勝を懸けたウルグアイとの最終戦に敗れ、悲願の初戴冠を逃してしまう。その大一番で痛恨のミスを犯したのが、黒人GKのバルボーザだった。黒人選手に対する偏見もあり、以降、バルボーザは生涯を通じて誹謗中傷に苦しめられる。こうしてGKのイメージは損なわれ、ブラジルは「GK不毛の地」となったのだ。

 大きなターニングポイントは1971年。後に重要な意味を持つ出来事があった。

 56年から68年まで名門パルメイラスのゴールマウスを死守したヴァウジール・デ・モラエスが引退後、GKコーチに就任したのである。それまでのブラジルに、GKコーチという職業、役割は存在しなかった。

 モラエスは身長170cmとGKとしてはきわめて小柄だった。そのハンデキャップを補うべく、さまざまな練習方法を考案して努力を重ね、国内有数のタレントと評されるに至った守護神だ。パルメイラスのフロントは、そのノウハウを後進のGKたちに伝授してほしいと説得したのである。

 トップチームと下部組織のすべてのGKとその志願者に、モラエスはポジショニング、キャッチング技術、キック、スローイングといった基本技術、試合への準備の仕方、心構えなどを教え込んだ。結果、日本でも指導者として活躍したエメルソン・レオンらブラジル代表に選出される優秀なGKが育ち、この成功に倣おうと他クラブもこぞって専門コーチを置くようになる。以降、10代前半から専門家の指導を受けるのが当たり前の時代が到来し、ブラジル人GKの水準は、飛躍的に向上していったのだ。

 やがて国際的に高く評価されるGKが出現する。ブラジル代表として90年から98年までのW杯3大会に出場し、94年大会では優勝に貢献したタファレルが、その代表格だ。

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