【連載・東京2020】岩崎悠人/後編「京都発、札幌経由、東京行き――。4年に1度の祭典に懸ける想い」

2019年05月14日 松尾祐希(サッカーダイジェストWEB)

衝撃を受けた闘莉王の存在。日本屈指の闘将から何を学んだのか

公私ともに闘莉王から寵愛を受けた岩崎。叱責される機会も多かったが、その言葉は今でも岩崎の心に残っている。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。

 2回目は、世代屈指の突破力を誇る岩崎悠人が登場。京都橘高ではキャプテンとしてチームを牽引し、最終学年の高校サッカー選手権では2回戦で、杉岡大暉(現湘南)、原輝綺(現鳥栖)を擁する市立船橋高と大会史上稀にみる激闘を繰り広げた。0-1で敗れたものの、いまだ記憶に残っているファンも多いはずだ。
 
 卒業後は京都に加入し、1年目からレギュラーとして活躍。プロ入り3年目の今季は札幌に移籍し、J1デビューを飾った。

 3月中旬のU-23アジア選手権予選でも躍動した20歳のアタッカーは、ここまでいかなる道を歩んできたのか。後編ではプロ入り後の歩み、東京五輪への想いを存分に語ってくれた。クラブ、U-22代表ともに熾烈な定位置争いをいかに勝ち抜くのか。岩崎の胸中に迫る。

前編はこちらから
【連載・東京2020】岩崎悠人/前編「知られざる幼少期の物語。なぜ、一度離れた故郷に戻る道を選んだのか」

中編はこちらから
【連載・東京2020】岩崎悠人/中編「人生を変えた京都橘高での3年間。巡り合った恩師との出会い」

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――プロ入りを意識し始めたのは?
高2の夏ですね。FC東京の練習に参加してからですかね。
 
――複数のクラブが獲得に動いていたなかで京都に決めた理由は?
だいぶ悩みましたね。J1の舞台でやりたいと思いもあったんです。でも、僕は高校3年間を過ごした京都でサッカー人生を変えることができました。なので、京都に貢献したいなという想いからクラブを選びました。
 
――プロ入り後、高校サッカーと一番違うなと感じた点は何でしょうか?
一番は勝つためにプレーをしないといけない点ですね。高校は頑張ればOKだったのですが、プロは頑張っただけでは褒められない。一番勉強になったのは(田中)マルクス闘莉王さんですね。僕が1年目の時は本職のCBではなく、FWで起用されていましたけど、本当にマイボールにする力があった。何かしらファウルをもらうことや、CKを獲得していたんです。チームが勝つことに徹していて、勉強になりました。
 
――ピッチ外でも学ぶことはすごく多そうですね。
そうですね。ランチにもよく連れて行ってもらいましたし、色んなことを経験させてもらいましたね。
 
――一番印象に残っている話はありますか?
ずっとけなされて、色んなことを言われましたね。それしか記憶にないんです(笑)。試合中もそうですし、冗談も混ぜながらですけどプライベートもそうでしたね。
 
――プロ意識を学ぶ機会にもなったと思います。
本当に戦う選手。闘莉王選手の背中を見て、戦う姿勢はすごく学ばせてもらいました。

次ページ1年目から38試合に出場も、高校時代からこだわっていたゴールはわずかにひとつ。それでも、充実していた理由は?

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