なぜ後手に回っても動かなかったのか? アジア杯で見えた監督・森保一の本質

2019年02月05日 飯尾篤史

頑なにメンバーを代えない。「総力戦」と言うものの、線引きは実にシビア

アジアカップでの森保監督の采配は、どの試合もハーフタイムまでは、あえて任せていたというような意図が感じられた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 準決勝のイラン戦で待望の先制点が生まれた直後、記者席に備え付けられたテレビ画面に森保一監督が映し出された。さぞ喜んでいるかと思いきや、控えめに喜びを表したあと、何事もなかったかのようにメモにペンを走らせた。
 
 似たようなことは、その前にもあった。グループステージのウズベキスタン戦で武藤嘉紀が同点ゴールを決めたあと、よく決めてくれたと言わんばかりにニコッとすると、すぐに笑みを消したのだ。
 
 選手たちは指揮官について「とにかく優しい」と口を揃える。また、メディアに対しても笑顔を絶やさず、腰が低い。
 
 だが、ただ優しく、謙虚なだけの監督が、J1リーグを三度も制すことができるはずがない。日本代表としてドーハの悲劇を体験し、監督として三度宙に舞い、途中退任も余儀なくされている。得点直後のクールな振る舞いに、修羅場を何度もくぐり抜けてきた男の本質がうかがえた。

 その本質とは、いったい何か――。肝が座っていて動じない。あるいは、芯が強い、ブレないと言ってもいい。そうした資質を感じさせた一例が、メンバー選考だ。グループステージ突破後のウズベキスタン戦こそスタメンを大きく変えたが、それ以降は中2日であっても頑なにメンバーを代えなかった。「総合力」「総力戦」と言うものの、線引きは実にシビア。サンフレッチェ広島でも指導を受けた佐々木翔は「日頃からプレーをよく見ている。気を抜いたら出さないぞ、というのを感じる」と語る。
 
 初戦や2戦目で交代枠を余らせた理由については、「率直に言うと、勝つためです」と指揮官はきっぱり言い切った。もちろん、すべての監督が勝利を目指しているが、その突き詰め方、敗因の確率を少しでも減らすことへのこだわりは強い。チームが勝つことによって個人も成長する。勝たなければ成長はない。そう考えているのだろう。
 
 そうした勝利至上主義は、志向するスタイルにも表れている。
 
「ディフェンスラインからボールを繋ぎ、剥がしていくのが理想」と語っているから、親善試合のコスタリカ戦やウルグアイ戦、今大会のイラン戦などは理想的なゲームだろう。

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