ジーコは怒っているのではなく――20冠達成の鹿島に、そのスピリットはいかにして浸透したのか?

2018年11月13日 加部 究

ジーコはいつも怒っている――スタッフも選手もそう思っていた

今季途中からはテクニカルディレクターとして鹿島を支えたジーコ。チームとともに歓喜に浸った。(C) Getty Images

 現役時代に才気溢れるプレーで世界を熱狂させたジーコは、その先に伝道師としての運命(責務)が待っていると考えていたようだ。だからスーパースターは、アマチュア時代の日本だけではなく、インド、イラク、ウズベキスタンなど、敢えて苦難を追い求めるかのように、サッカーの発展途上国を転々とした。
 
 ジーコが来日したのは、将来のJリーグ加盟さえ保証されないJFL2部の住友金属だった。土のグラウンドで練習し、遠征に出ればベッドで横たわると足がつかえそうなビジネスホテルに宿泊した。だが劣悪環境には不平はこぼさず、スタッフを質問攻めにした。
 
 ゴールネットが緑色、更衣室にパイプ椅子のみ、トレーニングの目的……「なぜ、なぜ」の問いに現強化担当の鈴木満(当時監督)は、グラウンドに向かうのが憂鬱になったという。
 
――ジーコはいつも怒っている――
 
 スタッフも選手たちも、そう思っていた。ある時、通訳の鈴木國弘は、とうとうジーコにぶちまけた。
「こんなに怒られてばかりじゃ、もうやってられませんよ!」
 即座にジーコは理解不能の表情を作った。
「オレが怒る?オレはおまえに1度も怒ったことはないぞ」
 
 しばらくしてクラブ内でも、ジーコは怒っているのではなく、意識改革に心血を注いでいることに気づいていく。それからは鈴木満を筆頭に、ジーコからプロ意識を学ぶ姿勢が徹底していったそうである。
 

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