個人を活かした戦いに徹する強国たち
相手や状況を見ずに「スタイル」を貫くのではなく、その時々で最も勝利に近づける戦いを選ぶことが重要なのだろう。写真はコロンビア戦の日本。 写真:JMPA代表撮影(滝川敏之)
どんなサッカーをするのか?
それは大切なテーマだろう。クラブレベルでは、プレースタイルを確立するのは常道だ。戦術的なアドバンテージによって、バルセロナは世界から羨望の眼差しを受けているのである。
しかしながら、代表チームでは、スタイルの確立はほとんど不可能な状況にある。戦術を浸透させるには時間を要するからだ。同じメンバーで継続的に戦うことができない代表チームでは、必然的に集団よりも個人の比重が高くなってしまう。
それは大切なテーマだろう。クラブレベルでは、プレースタイルを確立するのは常道だ。戦術的なアドバンテージによって、バルセロナは世界から羨望の眼差しを受けているのである。
しかしながら、代表チームでは、スタイルの確立はほとんど不可能な状況にある。戦術を浸透させるには時間を要するからだ。同じメンバーで継続的に戦うことができない代表チームでは、必然的に集団よりも個人の比重が高くなってしまう。
スペイン代表であっても、今回のロシア・ワールドカップで活躍が目立つのは、ジエゴ・コスタという「個人」である。
「ティキタカ」といわれるパス戦術が自慢ではあるが、今回のチームはそうしたコンビネーションに乏しい。イスコが"ひとりで"崩して、ルーカス・バスケスが"ひとりで"持ち上がり、ジエゴ・コスタが一発で仕留める。個人の技術やパワーが、顕著に出ている。
ポルトガル代表も、オーソドックスな守備ブロックを作って、前線の個人を活かす戦い方を採っている。戦術的には基本を徹底してはいるが、前線のクリスチアーノ・ロナウドの決定力=戦術と言えるだろう。個人を活かした、非常にシンプルな戦い方だ。
1990年代初頭まで、代表チームがその国のスタイルを象徴するものとなっていた理由は、当時はほとんどの選手が国内でプレーしていた、もしくは国内で選手として成熟してから海外に出ていたからだろう。
現在では、選手は若くして海外に出ていく。そのため国のスタイルというものは、以前よりも希薄になってしまった。そのなかで、戦術を高めるのは至難の技である。代表チームがその国のプレースタイルを担う時代は、すでに終わった。
日本ではいまだに、代表チームがその国のスタイルを背負っているかのように捉えられている。「デュエル」「縦に速いサッカー」などのフレーズで、日本のサッカースタイルが論議された。しかし、その国のスタイルは、ひとりの代表監督の手腕に委ねられるべきではない。