【黄金世代・復刻版】「遠藤家の人びと」~名手ヤットのルーツを辿る(前編)

2017年05月18日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

九州でも有数のサッカーどころ、桜島。

雄大なる自然の大地、桜島。その風土と島民の心意気が、遠藤保仁の才能を育んだ。写真提供:遠藤武義

【週刊サッカーダイジェスト 2007年5月19日号にて掲載。以下、加筆・修正】

 こよなくサッカーを愛した一家の物語。
 
 桜島の象徴である御岳(おんたけ)に見下ろされた家屋の脇に、ボロボロになったサッカーボールがひとつ、転がっている。かつて遠藤三兄弟が、庭で技を競い合っていた頃のものだ。
 
 壮観なる大地に育まれ、人びとの愛情に満たされた日々。やがて末弟の保仁は、日本を代表するプレーメーカーへと成長を遂げた。

【遠藤保仁PHOTO】骨太のキャリアを厳選フォトで振り返る 
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 鹿児島空港からレンタカーを走らせ、1時間もすると、御岳はいやがおうにも視界に飛び込んでくる。
 
 市の中心部にほど近い乗り場からフェリーで15分、穏やかな波の上を疾走するクルージングは爽快の一語に尽きるが、じわりじわりと近づいてくる御岳のド迫力を前に、ただただ、呆然とする。
 
 ほんの十数年前まで火山灰が猛威を振るっていた桜島のシンボル。沈静化している現在はその名残を残すのみで、悠然と、静かなたたずまいを見せている。
 
 溶岩グラウンドと名付けられた広域運動場は、その麓に位置する。大正時代の大噴火で溶岩が流れ込んでできたエリアを、町の財政で整備し、巨大なグラウンド3面にクラブハウス、体育館まで完備する総合施設へと変貌させた。
 
 そこはスポーツを推奨する町民の思いが結集された場所であり、サッカーボールを追う鹿児島県内の小中学生にとっては、聖地と形容してもおかしくない。照明代を除けば使用はほぼ無料で、今でも週末になると、7・8面はあるピッチの上で、チビっ子たちがお互いの技を競い合う。

次ページ島を二分した小学生の「ダービーマッチ」。

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