イブラ、バロテッリ、ポグバをどう動かした? 代理人ミーノ・ライオラの剛腕エピソード

2016年08月22日 片野道郎

最初のビッグディールはベルカンプのインテル移籍。

今夏はポグバ(左)をマンチェスター・Uに移籍金レコードで動かしたミーノ・ライオラ(左)。もちろん彼自身にとってもキャリア最高のディールとなった。(C)Getty Images、REUTERS/AFLO

 顧客のためならどんな手間暇も惜しまず、表から裏からあらゆる手練手管を弄して状況を動かし、移籍を実現させる。必要ならば憎まれ役になることも厭わない。その徹底したやり方から業界内には苦々しい思いで彼を見ている向きも決して少なくないが、その手腕には誰もが一目も二目も置いている。
 
 ミーノ・ライオラ。本名はカルミネだが、カルチョの世界ではもっぱら愛称のミーノで通っている。
 
 かつてのデニス・ベルカンプ(元オランダ代表FW)やパベル・ネドベド(元チェコ代表MF)から、近年のズラタン・イブラヒモビッチ(マンチェスター・U)、マリオ・バロテッリ(リバプール)、そして今夏のポール・ポグバ(マンチェスター・U)まで、ど派手な大型移籍をいくつも実現。さらにロメル・ルカク(エバートン)をはじめ、ヘンリク・ムヒタリアン(マンチェスター・U)、ブレーズ・マテュイディ(パリSG)、グレゴリー・ファン・デルヴィール(フェネルバフチェ)、ジャコモ・ボナベントゥーラ(ミラン)など有力選手を数多く顧客に抱え、その動向が常に注目されている当代きっての大物代理人のひとりだ。
 
 1967年生まれの48歳。ナポリに近いカンパニア州ノチェーラで生まれたが、1歳の時に両親に連れられてオランダに移民し、アムステルダム近郊のハールレムで育った。
 
 サッカー界に足を踏み入れたのは、両親が経営するピッツェリアで働くうちに、そこに集まるサッカー選手やクラブ関係者と知り合ったことがきっかけだった。地元のHFCハールレムで育成部門のスタッフとなり、1990年代初頭にFIFAエージェントの資格を取って代理人に転身する。
 
 最初のビッグディールは、1993年夏にアヤックスからベルカンプとヴィム・ヨンクをインテルに移籍させたことだった。
 
 この時ライオラがインテルに提示した条件は2つある。ひとつは、ベルカンプにチームで一番の給料を払うこと。もうひとつはベルカンプの親友ヨンクもセットで獲得することだ。それさえ受け入れれば、アヤックスと掛け合って、相場よりも安い移籍金で話をつけると請け合った。
 
 実際にライオラは、ベルカンプにより高い移籍金をオファーしながらヨンクの獲得を拒否したユベントスを蹴り、インテルとの話をまとめ上げている。
 
 これをきっかけにライオラは、オランダ、チェコ、ブラジルといった国々にネットワークを拡大し、ネドベドやマクスウェル(現パリSG)などを顧客に加えて、代理人としての地位を築いていった。

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