【EURO2016開催地を巡る旅】最終回:パリとパルク・デ・プランス「芸術と進歩と自由の都で一生の思い出を」

2016年05月31日 結城麻里

至福の時と悪夢を味わった、かつてのフランス代表の本拠地。

自由の象徴、パリ。何があってもこの街の本質は変わることがない。 (C) REUTERS/AFLO

「パリはひとつの祭りである」
 
 こう書いたのは、アーネスト・ヘミングウェイです。昨年11月に同時テロが起きた時、忘れられていたこの『移動祝祭日』という本が飛ぶように売れ、ベストセラーになりました。
 
 いかなる束縛も圧政も拒否し、精神の自由と平等を愛し、あらゆる文化芸術を創り上げ、食べ、飲み、論じ、笑い、歌い、踊り、装い、それでいて考え、人間の権利を守り、なんとなれば蜂起し、革命の火を灯し、社会進歩の先駆となり、世界中の知識人とアーティストを惹きつけて吸合してきたパリ――。
 
 それは、モリエールやシモーヌ・ド・ヴォーボワールやカトリーヌ・ドヌーブであると同時に、ユーゴーであり、ヘミングウェイであり、ピカソであり、モジリアーニであり、キャパであり、サルトルであり、シャネルであり、ピアフであり、ゲーンズブールであり、ウェアであり、ズラタンであり……。
 
 そして、今も集い続ける芸術家や思想家であり、何よりも、パリに命を捧げてきた名もなき民衆なのです。
 
 最終回は、そんなパリ(人口225万)を紹介して、この連載を締めくくりましょう。
 
――◇――◇――
 
 まずは「パルク・デ・プランス(通称パルク、4万5千人収容)」から始めましょう。
 
 ここは、今でこそパリ・サンジェルマンのホームスタジアムとして有名ですが、実は多くのフランス人にとっては、むしろフランス代表の元本拠地として心に刻まれています。
 
 1905年から1997年までに、公式戦だけで128試合が行なわれた場所なのです。
 
 最高の至福の記憶は、32年前のEURO84 ファイナル。フランスがスペインを撃破して輝かしい優勝を飾り、キャプテンのミシェル・プラティニがアンリ・ドロネー・カップを掲げた夜でした。
 
 また、1993年の悪夢も忘れられない記憶です。ブルガリアに敗れ、94年アメリカ・ワールドカップ出場を逃した時、パルクの芝には、選手と観衆の滂沱の涙が落ちました。そのなかには、現代表監督ディディエ・デシャンの姿もありました。
 
 この時、助監督だったのがエメ・ジャッケ。その彼が後に代表監督に就任し、それからたった5年で、フランスを世界の頂点に導いたのでした。

次ページ社交界かオペラ劇場のようなムードが漂う、煌めく「パルク」。

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