【リオ五輪予選】FC東京でつながる“3世代の10番”。北京五輪世代の梶山陽平とロンドン五輪世代の東慶悟が中島翔哉へ送ったアドバイス

2016年01月14日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

ロンドン五輪の本大会に挑んだ東がプレッシャーを感じなかった理由とは?

FC東京に在籍する“三世代の10番”。梶山と東が送ったアドバイスとは? 写真:(C)サッカーダイジェスト

 FC東京には、過去2回の五輪本大会で日本代表の10番を背負った選手がいる。2008年の北京五輪では梶山陽平が、続く12年のロンドン五輪では東慶悟が"エースナンバー"のユニホームを身に纏って戦った。

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 そして、先ごろ開幕したリオ五輪の最終予選で日本代表の10番を背負うのも、同じFC東京の選手、そう、中島翔哉である。

 なによりサッカーを楽しむ。それがモットーの中島は、「勝ち負けに対するプレッシャーは感じないタイプ」だという。だから、10番へのプレッシャーもない。

「特別な番号と周りから言われるのは嬉しいですが、重圧はないです」

 ロンドン五輪の予選・本大会を戦っていた東も、そうしたプレッシャーは感じていなかった。本人は、当時をこう振り返る。

「(背番号について)あんまり考えていませんでしたね。考えなさ過ぎたかもしれません(笑)。10番の重さを分からず、ガムシャラにプレーしていました。今(10番を)付けてやれと言われたら、逆に意識し過ぎてしまいますかね。あの頃は本当に若かったなという感じがします」

 東が重圧を感じなかった背景には、"五輪チームへの期待値"もあった。

「五輪の本大会に限れば、(当時のチームは)あまり期待されていませんでした。負けて当たり前みたいな、そんな雰囲気がありました。だから、背番号10でもそこまでプレッシャーはありませんでした」

 「あまり期待されていない」──。もしかすると、それはリオ五輪の最終予選に臨むU-23代表を取り巻く状況に似ているかもしれない。なにしろ……。

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