何事にも動じない。ブレずにやり続けた斉藤光毅がオランダ1年目で躍動「自分が目ざしているものを体現できた」【独占インタビュー/前編】

2023年07月14日 松尾祐希

得点&アシストで二桁越え

斉藤光毅(さいとう・こうき)2001年8月10日生、神奈川県出身。経歴:横浜FC―ロンメルースパルタ。俊敏かつテクニカルなパリ五輪世代注目のアタッカー。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 横浜FCから活躍の場を海外に移して2年半。ベルギー2部のロンメルSKでプレーしていた斉藤光毅は、2022-23シーズンから新たな挑戦をスタートさせた。

 新天地はオランダリーグ1部のスパルタ・ロッテルダム。序盤戦はコンディションの問題で出場機会を得られなかったが、尻上がりに調子を上げて目覚ましい活躍を見せた。

 終わってみれば、26試合で7ゴール・5アシスト。1年を通じて上位争いを繰り広げたチームも6位で終え、斉藤はその躍進を中心となって支えた。

 来夏のパリ五輪でエース候補と目される男は、なぜ1年目から結果を残せたのか。その理由とは――。

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 スパルタ・ロッテルダムでは主に左サイドハーフで起用され、26試合で7ゴール・5アシストをマークした。2021年1月に移籍したベルギー2部のロンメルSKでは1年目(後半戦だけのプレー)が9試合・0得点、初めてフルシーズンを戦った2年目は20試合・5得点。過去2年の成績を考えれば、目に見える形で成長を示した及第点以上の結果を残せたのは間違いない。移籍1年目の斉藤にとって、22-23シーズンはポジティブな1年だった。

 とりわけ、後半戦のプレーは目を見張る。コンディション不良で出遅れた前半戦は1得点に終わったものの、3月5日の24節・エクセルシオール戦(4-1)から3試合連続ゴールをマーク。5月13日の32節・フォレンダム戦(1-2)から最終節のフローニンゲン戦(5-0)まで、再び3戦連発の離れ技をやってのけたのだ。

 最高の形でシーズンを締めくくった1年を斉藤はどのように見ているのか。

「最後の結果を見れば、まあまあ活躍できたと言えるかもしれないですね。7得点・5アシストの数字で言えば、ゴールに関わった回数が二桁を超えていますし。でも最初につまずいてしまって試合に出られず、チームにもなかなか馴染めなかったので、最初から活躍できていれば、もっと点数が取れたはずだと感じています」

 口にした言葉からは悔しさが滲む。今から1年前、斉藤は苦しんでいた。シーズン終了後にU-21日本代表の一員としてU-23アジアカップに出場。短いオフを挟んで合流した影響で調整が上手くいかず、主軸として期待されながら無得点に終わった。

 身体にキレがなく、左サイドハーフで持ち味を発揮する場面は限定的。トレードマークである人懐っこい笑顔はほとんど見られず、苦悶の表情を浮かべていた。

 そうした状況下で大会中にスパルタ・ロッテルダムへの期限付き移籍が決まったが、アジアカップの開催地であるウズベキスタンで新型コロナウイルスに感染してしまう。大会後に一度、日本に戻る予定だったが、直接オランダへ渡ることを余儀なくされた。

【動画】カットインから鮮烈ショット! 絶妙タッチのゴールも

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